カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • あなたにも開眼が

    2023/6/18
    イザヤ書50:4、 ヨハネによる福音書29:1~12
    濱崎 孝牧師(隠退牧師)

     「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。」(1節)―福音書が伝えようとしている出来事の導入句、状況説明が、もう福音の宣言になっています。キリスト・イエスさまが、限りなく深いご慈愛の眼差しで「人を見かけられた」のです。そして、それは、その時だけのことではなく、最初からそうだったのであり、これからもその祝福は変わらないという嬉しい知らせです。「すべての人間は、病気、健康にかかわりなく、神の貴重な賜物であり、だれひとりとして、神に忘れられてはいない」というような福音が聞こえてくる聖句なのです。

     今あなたの祈りの路(信仰生活)は、視界良好ですか?「ラビ(先生)、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(2節)と問いかけたお弟子たちは、まるで濃霧の中をさまよい歩いているという有り様でした。彼らは、人間の後ろを、それも暗い過去を偏り見ていたのです。もし、こういうお弟子たちの家庭に苦難が臨めば、悲観的なことばかり考える、悲惨な暗い家庭になってしまうのではないでしょうか。そして、私どももまた、あの時のお弟子たち同様、人間の前(行く末)まで見えるようになる、そういう人生の課題を抱えてはいないのでしょうか……。

     主イエスさまは、生まれつき目の見えない人とその家族や隣人、またご自身の弟子たちに、暗い過去しか見えない運命信仰のようなものから解放する言葉をお与えになりました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(3節)。イエスさまは、過去・現在・未来にわたって視界良好、真に大切なものが見える眼をもっていたのです。

     キリスト・イエスさまは、あの目の見えない人の前にかがみこみ、「地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった」(6節)。「黙れ。静まれ」のひと言で、大いなる出来事を導き出すことが出来たイエスさまなのに(マルコによる福音書4章35節以下参照)、どうしてあのようなことをなさったのでしょうか……。イエスさまの手厚い行為で、あの人は、「私は愛され、大切にされている」ということに開眼されていったのです。そして、お言葉どおりシロアムの池へ行くという信仰の道も見出せるように配慮されたのでした。さらにまた、彼は自分の前(将来)には、人間らしい生活や希望があるということも見出していったのです。どうか、皆さんもまた、開眼の恵みを祝福してくださる救い主イエスさまのご慈愛をいただきたい……と切望するものでありますように。

     「座って物乞いをしていた人」(8節)の人生が隣人の救いのために用いられ、開眼の恵みが必要だった弟子たちも、そのための養いや訓練を受けたのでした。「弟子たち」は、英訳聖書ではdisciplesです。このディサイプルと同じ語源の英語が、訓練や修養を表すdiscipline。弟子は、その師から訓練や養いを受ける者であってこそ相応しいのです。主イエスさまのディサイプルにしていただいた私どもは、イエスさまによる愛のディシプリンを生涯、祈り求めていきましょう。そういう有り様こそ、教会とキリスト者の個性なのです。

     私どもの国で、多くの人が読んでいるA新聞が、公文和子というクリスチャンのことを何度も紹介して来ました。困難とたたかいながら素晴らしい仕事をしている公文さんを応援したいと思ったようです。公文さんは、ご両親がキリスト者だったことから、こどもの時から教会でイエスさまの訓練に与ったのです。やがて、生まれつき目の見えない人や、手や足や身体の不自由な人にとても優しいことをなさったイエスさまのような人間になりたいと願い、小児科医になったのです。そして、アフリカのケニアへ赴き、「シロアムの園」という施設をつくり、障がいのある子どもたちと共に生きる人になったのでした。シンガー・ソングライターのさだまさしさんは、映画の仕事でケニアを訪れた折、公文和子さんの尊い働きを知り、応援をするようになりました。「百万人の福音」という月刊誌も公文さんのことを紹介し、やがて、『グッド・モーニング・トゥ・ユー』(いのちのことば社)という本が出版されました。この本の帯には、さだまさしさんの言葉がプリントされています。「『風に立つライオン基金』は、公文和子先生との出会いから始まったものです。僕は遠い町からいつも祈っています。」

     皆さん、公文和子さんは遠い人ではありません。実は私どものとても身近な人で、私どもカンバーランド長老キリスト教会に何度も来ている友なのです。公文さんの叔父さんが私どもの教会の長老ですし、イエスさまを愛したご祖父さまの葬儀は、私ども日本中会の教会堂で行われました。ですから、公文さんは、日本に帰国した折には、私どもの教会で、活動報告や証しをしてくださっているのです。皆さん、シロアムの園の公文和子さんをとおしても、私どもは、主イエスさまがご自身の弟子に素晴らしい訓練や養いをしてくださり、懇ろなサポートも祝福してくださるという福音を聴くことが出来ますね。どうぞこれからも、共々に、偉大な出来事が見えるようになる、嬉しい開眼の訓練やそれに伴う仕合せに与っていきましょう。ヤハウェ・イルエ。