カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • イエスに従う女たち

    2023年7月23日
    ヨシュア記2:1~14、ルカによる福音書8:1~3
    関 伸子牧師

     今日与えられている箇所は、とても短い箇所ですけれども、非常に興味深いところです。主イエスの宣教に同行した女性たちに言及しているのは、福音書のなかではここだけです。外で女が男と話をすること自体考えられない社会の中で、主イエスの周りには女たちがいつもいる。そのこと自体が革新的なことでした。

     主イエスはガリラヤの町々村々を廻って神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられました。「神のご支配が今ここに来ている」と告げらました。この主イエスの宣教の働きに、12人が同行していたと語られています。ここで弟子と言わずに、12人と言われていることに、意味があるのでしょう。第6章12節以下の部分に、主イエスが12人を選ばれたという記事があります。この12人は、新しいイスラエル、新しい神の民の礎となるべき人々です。第22章30節以下では、この12人がイスラエルの12部族を治めることになると主イエスが語っておられます。その12人が、主イエスの宣教に同行していたのです。

     この箇所の2節と3節において、そのような主イエスの宣教の業を支えて、女性たちが奉仕をしていたことが明らかにされています。イエスによって救われた多くの女たちがイエスと12弟子の一行に同伴して、自分たちの財産をもって彼らに仕えました。その中で、特に名を上げられている者は、マグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナとスザンナという女3人です。この女たちは、階級の違いを越えています。

     最初にヨハナの名が挙げられています。ヘロデとは、ガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパス(在位前4年~後39年)のことです。そのヘロデの管理人とは、ローマ帝国の下でヘロデが財政などを「任せている」部下のことです。その管理人クザの妻ヨハナ(「主は恵み深い」という意味)は、後にイエスの復活の証人の一人となります(ルカ24:10)。このヨハナは、おそらく夫から離れてイエスに従っていたのでしょう。スザンナ(「ゆり」という意味)はこの箇所にしか登場しない女ですが、この女もイエスの復活の証人の一人であるかもしれません。それぞれにイエスさまに愛されたのだと思います。そのイエスに対する思慕と、献身的な愛の奉仕がなされました。
     「自分の持ち物を出し合って、一行に仕えていた」(3節b)。「持ち物」は「所有物」と訳せる語で大から小まであらゆる種類の所有物について用いられる語です。この場合は、食糧などをそのつど持ち寄ってイエスと弟子を世話した、という意味かもしれませんし、もっと大きく、使徒言行録に登場するバルナバのように、自分の資産を寄附した、という意味かもしれませんし、その他いろいろなことを含み得るようです。

     それにしても、ヨハナのように、イエスの弟子の中に身分の高い女性がいたことは、イエスの宣教の働きの大きさを物語っています。イエスの説く福音は貧しい人々だけではなく、豊かな人々をも魅了しました。こうして、弟子たちは自分たちの持ちものや賜物を共有、活用して、お互いに助け合い、天の王国の福音を人々に説きながら、自らの宝を天に積んでいったのです。

     イエスにとって12弟子はイエスの肉親の兄弟より親しく、彼に仕えた女たちは彼の母よりも近くにありました。神の国は霊と真実の交わりであって、肉親の交わりとは全く質を異にし、血肉は神の国を嗣ぐことはできないのです。私たちが、神の恵みによって信仰に入った後、私たちの家族もまた同じ信仰に入ることは、私たちの心からの願いとなります。 家族伝道は心にかけるべき事柄ですけれども、あせることはありません。また、失望することもありません。私たち自身の信仰は家族に対して証しとなり、神の真理はそれみずからの能力を私たちの過程においても現わしてくださるでしょう。

     12弟子たちが派遣されて行った時、残った女たちはどうしたと思われますか。彼女たちも伝道したはずです。これだけの能力のある人、信仰のある人たちが、隣近所で接する子どもや女たちに「ちょっと聞いて」と言って福音を宣べ伝えないはずがありません。ですから、後の時代になっても、例えばパウロと一緒に働き伝道もしたアキラとプリスカを考えても、プリスカがアレクサンドリア生まれのアポロを家に呼び込んで、「もっと正確に神の道を説明した」のです。プリスカがそれをしたのです(使徒18:26)。

     その意味では、神の国の宣教に男も女もない。それぞれが主イエスによって病からいやされ、悪霊を追い出され、健やかな人として救っていただいた感謝から、それぞれが持っているものをもって主と主の弟子たちに奉仕する働きが自然にできてくるのだと思います。私たちも自分の持っているものをささげて奉仕をしていきたいと思います。お祈りをいたします。