カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

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  • 立ち上がろう! 笑いの中に

    2024年11月17日
    イザヤ61:1~4、ルカ6:17~21
    潮田健治_牧師(隠退牧師)
     
     「貧しい人々は、幸いである。」
     イエス・キリストは、私たちが普通、不幸だろうと思うこと、しかしそれは「幸いである」と言うのです。見方が、逆になっています。見方が変わってしまう、というのです。

     見方が変わってしまうということで、初めに、私がワクワク感を持った経験をお話します。私がいつも使っている相鉄線というローカル鉄道が、JR直通運転になりました。いつものホームに、まったく聞いたことがない行き先を表示した電車が来るのを見て、実に不思議な感覚を持ちました。子どもの時に味わった、ワクワクする感覚です。カルチャーショックです。電車が「そこ」までつながっているということは、もう、自分が経っているいつもの駅が、いつもの駅ではなくなっている、ということでしょう。違う世界への入口になったのです。

     キリスト者(キリスト教)の信仰を考えれば、普段の生活が、ある日からイエス・キリストに、そして「神の国」につながる直通運転を始める、ということです。そのホーム(礼拝)に立つと、普段の生活がこんなワクワクすることだったのだ、と。

     帰りは、新宿に私の町に行く電車が止まっているのを見て、自分の町がはたして全く違う町に見えてくるのです。そこでもまたワクワク感を感じましたが、現実は今日の聖書の言葉に「病気を治してもらうために来ていた」人たちが、あふれていたと、書かれています。それが現実なのです。どの町にも病院があり、あらゆる診療科目がそこにはあるのです。それが、町、普段と何も変わらない私の生活なのです。

     にもかかわらず、ここが大事なのですが、イエス・キリストと、そしてイエス・キリストが宣べ伝える神の国につながる、つながっていることで、そのプラットホームに立つことで、「あなたがたは笑うようになる」。自分の日常に新しい気づき、すなわち意味の発見をするとき、私たちは、ワクワクするし、笑えるようになるのです。さらには、笑いを拡げることが出来るのです。そういうプラットホーム、私たちにはこの礼拝が、この礼拝堂が、あるのです。

     相鉄の元副社長、岡幸男さんは、言っていました。「相鉄の不動産部門で宅地を開発すると、多くの人が安住の地を求めてやって来るのです。しかし、宅地を開発しただけでは決して人が安住できる土地にはならないと私は思っているのです。最後に教会がなければ、だめだと思っています。」岡さんは、クリスチャンです。相鉄がいずみ野線の緑園都市に「町」を作ることになった時も、駅の片方にはキリスト教大学を、もう片方にはキリスト教会を誘致するために尽力しました。改札を出ると、右に教会の十字架が、左にキリスト教大学の十字架がある、天に向かう、直通運転のプラットホームのある町を作ったのです。

     やっと安住の地に立ったと思った途端、思いがけず様々な問題や悩みに直面しますが、そこから礼拝によって神につながる、神の国に直通運転を始めると、自分の生活はいっこうに変わらない、いつもと同じであっても、その景色が変わるのです。いつもの町が、日々の生活が、その意味が、変わるのです。貧しい。だから幸いなのだ。神の国はあなた方のものなのだ。今飢えているなら、幸いだ。あなたがたは満たされる。今泣いているなら、幸いだ。笑うようになる。

     一人の人の話をしたいと思います。私が19年間、お仕えした神奈川県座間市にあるさがみ野教会の隣に、日本基督教団の大塚平安教会があります。その教会の草創期から教会をけん引してきた一人に、角田敏太郎という人がいました。この人は、昭和22年、15歳で国鉄に入社します。学制改革の中、そのはざまで今の小学校卒の学歴しかなかったため、角田さんは、独学で猛勉強します。そういう中で父を失い、一家を支えるのだと必死で頑張りました。しかしそのさなか、仕事中に重大事故に巻き込まれました。重体でした。-あとは端折りますが― 障がい者となりながらも職場に復帰できるようになった、…まではいいのですが、しかし、酒におぼれたハチャメチャな生活をするようになりました。

     ある日、お酒の入った赤い顔で立っていると、後ろから声がかかった。「駅員さん、あなた、教会に行きたいのではありませんか。」「明日、9時、ここで待っていてください。」怪訝に思いながらも、少しの期待もあって、約束の場所で待つことになり、こうして大塚平安教会と出会い、二十才で洗礼を受け、以後、大塚平安教会の草創期から、教会をけん引する一人になったのです。

     彼に声かけをした人は、いつもその駅を使っているうちに一人の駅員さんをじっと見つめ、見つめているうちに、その後ろにある叫びや悲しみや、その思いを受け止め、人が住んでも町になっていないと言いましたが、そこに居ても、人間らしく生きていない、その声を聞き、そこで声をかけたのが、先ほどの言葉だったのです。

     こうして角田さんは、礼拝というプラットホームから、笑いの人に変えられました。さらに、笑いのバトンを多くの人に渡す尊い奉仕にまで、つまり教会というプラットホームに立って、笑いの奉仕をする駅員さんに、なって行ったのです。生涯、身体障がいを負ったまま、それはまったく変わりません。しかし、礼拝堂という、そこで礼拝するというプラットホームから自分を見つめた時、自分の景色が変わったのです。

     皆さん、皆さんもこの礼拝堂というプラットホームから、自分の人生の意味を発見しているし、ここに立つ限り、それができるのです。それは今日、実現することであるし、もう、実現していることなのです。