カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 喜びは尽きず

    2024年12月22日
    イザヤ7:10~14、マタイによる福音書1:18~23
    関 伸子牧師

     「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1:20)。聖書に記されているこのみ言葉を聞くと、ああ、受胎告知のことだと、みなさんは、すぐに、ルカによる福音書に描かれたマリアへの天使のお告げを思い浮かべるのではないでしょうか。フラ・アンジェリコを始めとして西洋絵画に数多く描かれている〈受胎告知〉はマリアへの告知です。しかし、マタイ福音書によれば、〈受胎告知〉を受けたのはマリアではなく、マリアの夫となるべきヨセフでした。夢の中で天使がヨセフにそれを予告したのです。ですから、ヨセフの受胎告知と言っていいでしょう。ヨセフの職業は大工であったと伝えられており、イエスさまの他にも数人の息子や娘がいたようです。聖書の中ではほんのわずかな場面にしか登場しないヨセフ。ヨセフはマリアの婚約者であり、当時のユダヤの習慣では、男女が婚約をすることによって法的に妻と同等と見なされることになっていたようです。

     婚約者マリアが身ごもったことを知ったヨセフは困惑します。神の前に正しい人として生きてきたヨセフにとっては、これは姦淫の罪、マリアの裏切りでしかありません。マリアを愛するゆえにヨセフが非常に苦しんだことは、マリアのことを「表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」苦渋の決断が物語っています。しかし、そのような結論を出すために、ヨセフはとんとんと筋道を立てて、結論を出したわけではないだろうと私は、思うのです。クリスマスはそういうまことに人間的な、しかし深い魂の悩みの中で起こったのです。
    ヨセフがこのように決心したのは、彼は「正しい人」であったからです。神の律法に忠実に従って行動することも、悩み苦しむ人を憐れみ助けることも、どちらも「正しさ」のはずです。その時、神が介入します。ヨセフに天使が夢の中で語りかけました。ヨセフはただ、文字どおり夢のような体験に基づいて、その人生の道筋を大きく変えることになったのです。ヨセフはまさに、ただひとり、神の前に立たされた。まことに人間的な、それこそ人には言えない愛と疑いの中で、時にマリアに対して憎悪の念さえ抱いたにちがいないと思われるような悩みを抱きながら、しかし、ただひとり神の前に生きざるを得なかったのです。

     「恐れず妻を迎え入れなさい」。苦渋に満ちた結論を出そうとしていたヨセフ自身が思いもよらなかったもう一つの選択肢、マリアと共に生きるという道が告げられたのです。それを考えるために、インマヌエルに目を向けたいと思います。天使は続けて告げます。「マリアの胎の子は聖霊によって宿った」。「マリアは男の子を産む」。そして「(ヨセフが)その子をイエスと名付ける」。インマヌエルとは

     「神は我々と共におられる」の意味ですけれども、マタイによる福音書の最後(20:20)でもイエスは「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束します。また、この名前には「神は救う」という意味があります。
    旧約聖書を読むと、ヨシュアつまりイエスという名の人はもっとたにも何人もいたことが分ります。このヨシュアという名前はたいへん平凡な名前です。なぜかというと、長男が生まれるということは神さまの祝福を受ける最大のしるしです。特にユダヤの人はそう信じた。長男が生まれるととても喜ぶ。当時の人々にはあたりまえの名前です。どこにでも起こるひとりの男の子の誕生として主イエスの出来事は始まるのです。しかしそのようにして始まった神の子の歴史はどんなに確かなことであろうかと思わずにはおれません。なぜならば、「この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)。
    「自分の民」は、ヘブライの世界を越えて、人類全体に及び、神の民となる。地上に生まれた時から天に上げられた後まで、イエスはインマヌエルであります。イエスは信じる者と常に共におられる。神の計画はこのイエスを通して、また、イエスと共にいる人々を通して実現されていくのです。天使の指示をヨセフが実行する。ヨセフの従順によって私たちもイエスをインマヌエルと名づけることができる。ナザレの貧しい家に、若い女性の胎に、神と私たちとの友愛を回復させたお方が、ひそかにお越しになるのです。

     マリアの謙遜、ヨセフの困惑と従順、この人々の素朴さは、イエスに従う者の態度であります。私たちの現実には、この時のマリアのように、背負い切れないような負担を強いられることがあります。またこの時のヨセフと同じように、ひそかに悩みを抱え込むこともあります。しかし、まさにそういうところで、神さまは私たちに出会ってくださり、「インマヌエル」と告げられるのです。ヨセフに告げられた天使の言葉は、私たちにも向けられています。私たちがどんなに罪を犯しても、どんなにこの歴史を崩してしまうようなことをしても、神は私たちと共にはおられる。
    復活したイエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束します。神さまは世の終わりまで私たちと共にいて、力を与えてくださる。アブラハムから始まって、全世界のあらゆる国の人々にまで祝福がもたらされる神の救いの約束は、このイエス・キリストによって成就されたのです。クリスマスに与えられたプレゼントの大きさ、それは「インマヌエル」、「神われらと共にいます」、すなわち、「神さまはイエス・キリストを通していつも私たちと共にいてくださる」。このイエスが私たちの救い主であることに驚き、喜び、感謝して、「ありがとうございます」と言い、人びとに語りつづける恵みを分かち合いたいと願います。お祈りをいたします。