カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • いのちの流れのほとりに立って

    2025年12月28日
    イザヤ49:7~13、ヨハネの黙示録22:1~5
    関 伸子_牧師

     聖書は創世記に始まり、黙示録で終わっています。最初にあったものが、最後に来ます。「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように光り輝く命の水の川を私に見せた」(1節)。創世記にあるエデンの園にも川が流れていました。新しい神の都にも川が流れています。ヨハネは引き続き、いのちの水の川を見せられました。この川は神と小羊の御座に発し、都の大通りの中央を流れ、すべてのものがこのいのちの水の川によって潤うのです。バビロンと新しいエルサレムは、両者とも額に名を記されています。

     「神と小羊」はすぐ後の3節に繰り返されています。第21章22節では「主と小羊」として出ており、それは都の神殿のことです。また小羊は「都の明かり」(21:23)であり、そこから流れ出る「命の水の川」も、「水晶のように」(4:6)輝いています。水晶は新約聖書では黙示録にしか出てきません。水晶の輝きを持つこの川両岸に命の木があって、12種の異なった実をつけ、それが毎月実を結ぶのです。そこには神の都の特色と恵みの豊かさがよくあらわれています。

     5節に「もはや夜はなく、灯の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らすからである。そして、彼らは世々限りなく支配する」と述べられています。すべてのすべてであるキリストのもとにあって、王者としての待遇を受けることを意味しています。ここでは、時間を超越した生活が約束されているのです。

     12月に「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」という映画を観ました。1906年2月4日に生まれ1945年4月9日に召されたデイドリッヒ・ボンヘッファーはドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師でした。第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担し、別件で逮捕された後、極めて限定された条件の中で著述を続けました。その後、暗殺計画は挫折し、ドイツ降伏直前にフロッセンビュルク強制収容所で処刑されました。わずか39歳でした。刑死の前日、全世界におけるキリスト教会の交わりとその一体性を固く信じ、「わたしにとって、これがいよいよ最期です。しかし、またこれは始まりです。そしてわたしたちの勝利は確かです」と言い遺して逝った言葉は、まさに全世界の人々の心に深く刻みこまれています。ボンヘッファーの告白的信仰とその神学の影響は今日にも及び、またこれからも長く生き続けるでしょう。誰でも、人生を悲しみや怒り、恐れ、不安の中で終わりたいとは思わないでしょう。ボンヘッファーはナチスドイツを批判し、自分の生き方に正義を貫きました。悲劇的な結末ではありましたが、彼はその生涯を意義深く閉じたのです。彼は処刑されましたが、その精神は今も後代の人々の心に強く影響しています。神を仰ぎ、神を信じる信仰に徹する時、私たちの現実は、ボンヘッファーのように世間的に見れば悲劇に終わるかもしれません。しかし、ボンヘッファーは信仰を貫いて処刑された。これは悲劇であるが実は勝利なのです。

     ヨハネは時間を超えた世界から、時間の世に引き戻されます。それは苦しい現実です。教会の戦いは終わっていません。否、むしろ、これからますます厳しく激しくなっていくでしょう。しかし、この現実は、救いの完成へと向かう過程の一環です。神は想像の初めから被造物をして、特に人間をご自分の民とし、愛と交わりの相手として、神の栄光のためにお創りになりました。

     「神の僕たちは神を礼拝し」ています(ヨハネ22:3)。エデンの園ではアダムもエバも神の顔を避けました。ここでは、神と小羊の玉座があって、神の僕たちが神の近くで礼拝していたのです。

     主はヨハネの黙示録第22章20節で「然り、私はすぐに来る」という約束をもって苦難の中にある教会が、何をもって生きるべきか、生き得るかをお示しになるだけでなく、この世界と歴史の根本的な救いを完成に至らせることを宣言されているのです。それゆえ、私たちも「アーメン、主イエスよ、来たりませ」と応答して祈るのです。

     初代教会は、主の来臨が切迫しているという信仰において生活しました。しかしそこで「この世にありつつ、天国に住むように生きる民」が生まれてきたのです。

     「私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である」(16節b)。最後に来られるイエス・キリストが、ここで「根(若枝)」、「明けの明星」として表現されていることに驚きを禁じ得ません。なぜなら、それは植物と鉱物だからです。黙示録でこれまで小羊というように動物で表現されていた御子キリストは、今、植物でも鉱物でも表現され、まさに全世界のエコロジー生態系のすべてを包むお方とされ、それこそ新天新地の到来です。

     ドイツのルーテル派の牧師であり神学者であるブルームハルトの著書『夕べの祈り』でこう祈りました。「あなたのお仕事を勝利に導き、最後の大いなるイエス・キリストの日にまで至らせてください」。私たちが神に与えられている人生は実にさまざまです。しかし、そこで共通に忘れてはならないことは、神が働いていられるということです。歴史を貫いて働いておられるということです。ご自身がお造りになられた本来パラダイスとしての世界を罪ある人間が泥まみれにしているときに、神が一所懸命にこれを回復しようとして働いておられるということです。祝福のために。ブルームハルトはその神の仕事が勝利することをここで改めて祈っています。

     その意味では、皆さんはひとしく神の仕事にあずかるように招かれています。礼拝と祈りにつとめ、神の言葉が生活のすみずみにいきわたった生活をしつつ、愛と自由と忍耐と希望に生きる。今わたしたちはキリストのいのちの流れのほとりに立ち続けて生きてくることができたことを感謝し、望みを新にしたいと心から願います。お祈りをいたします。