神の御名を知る
2020年10月18日
エレミヤ書29:1、4~14、ヨハネ17:13~21
関 伸子牧師
弟子たちに対する告別の説教を終えた主イエスは、目を上げ、天を仰いで父なる神に、「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えてください」(1節)と祈り始めます。神の宮の祭司が人々のためとりなし祈るように、イエスさまもご自分が十字架で死んだ後、残されることになる弟子たちを案じて、とりなし祈ったのです。古来、教会ではこれを『大祭司の祈り』と呼びますが、イエスの内的生活の最も清く真実なる吐露がここに見られます。父の栄光が顕されることがいつもイエスの年頭にありました。
次に主イエスは弟子たちのために祈られます。イエスを裏切ったイスカリオテのユダは自滅の道を歩んで行きますが、それさえも、神の深いみこころの内にあることを認めておられる。イエスにとって彼らを置いて行くことは、羊を狼の中に残して去って行くようなものである。その現実を直視しながらイエスは、彼らを悪い者から守ってくださいと祈られました(15節)。次にイエスは、弟子たちが一つの群れとしての一致を保つことができるようにと祈られる。
弟子たちは、イエスがそうであられるように、世の中にある者ですけれども、世に属する者ではありません。イエスの弟子たちは聖化された存在である。世から逃避することなく、しかも世に染まらず、世の中に身を置いて、世を救うという使命が弟子たちには課せられます。まさに、この使命の実現のため、「弟子たちを聖なる者としてください」(17節)と祈られる。そのように、私たちキリスト者はみな、聖別され、全面的に神に属し、身も心も徹底的に神のものになりきるのです。
先ほどエレミヤ書第29章のみ言葉をお読みしました。捕囚民に宛てた手紙の中で、エレミヤは、捕囚の地で家を建て、家族を増やし、町の平安を祈りつつ生き抜くように、と励ましの言葉を語る。そして時が満ちたとき、必ず彼らをもとの場所へ連れ戻すという「将来と希望を与える」(29:11)神の約束を与える。捕囚の民は、はるか彼方にまだ見ぬ希望の約束を与えられたからこそ、後の世代のために、異国の地で苦しい生を生き抜くことができたのだと思います。
弟子たちへの告別説教(ヨハネ14~16章)ととりなしの祈り(17章)のなかで、イエスはくり返し、神と御自身との一致を信じる者たちの一致を願い、また祈る。
神とキリストは信じる者たちといつも共にある、という希望と確信は、ユダヤ教徒との軋轢、またローマの迫害の中で、キリスト者の群れを支え、導いたのである。
20節で、彼らのためだけではなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにもとあるように、ここでヨハネは過去、現在、未来の教会全体、キリスト者全体を視野に入れています。そしてさらに終末をも視野に入れているのです。「彼ら(弟子たち)が一つになるため」(11節)の祈りがさらに広げられて、全教会のための、イエスの十字架と復活以後に成立した世々の教会のすべてを含めて、「みんなの者が一つとなるため」の祈りがささげられています。その視野の広さに驚かされます。
そしてさらに、この一つになるようにとの祈りは、単にキリスト教会に限定されるものではありません。21節に「そうすれば、世はあなたが私をお遣わしになったことを、信じるようになります」とあり、23節に「世が知るようになります」とあるように、神とキリストの愛は全世界に、すべての人に向けられているのである。世は神を知らない。しかしその世を神は愛された(ヨハネ3:16)。いつの時代でも、教会が一つになると、外に向かう愛となって溢れ、果敢に地域の貧しい人、孤独な人、子どもたち、福音を必要とする人に届こうとしていくのです。私たちが一つになって使命を担う姿を見ながら、世の人は、21節、あなた(神)がわたし(キリスト)を世に遣わしたと知り、救い主が確かにいることを知るようになるのです。
弟子たちは、神なき世へと遣わされています。弟子たちは世にあって、世と共に、世のために生きる。ここで大切なのは、世に遣わされた6日間の生活、週日における働きです。この週日の生活において、私たちは神からの委託を担い、み言葉に覆われて世に生きるのです。この6日間のこの世の生活の中に、いわば見えない教会が存在するのです。
すべてイエスを信じる者は、イエスによって一体である生命の共同隊、栄光の共同体、愛の共同体をなす。生命と栄光と愛の共同体である神の国のこの輝き。この御国がなることを、イエスは父のため、ご自身のため、弟子たちのため、また信じる者すべてのために父に願い、世に訣別されました。主イエスが祈りを終えられたあとには、永遠の真理の輝きと永遠の愛の香りが、私たちを包み、私たちの心を天の高さに引き上げて、父と子と聖霊の神に対する讃美と感謝にあふれ、地にあって御言葉のために受ける艱難を乗り越える力を与えられる恵みに感謝します。お祈りいたします。