神の言葉に立つ
2025年11月9日 創世記15章1~6節、ヤコブの手紙2:14~26 関 伸子_牧師 ヤコブの手紙が書かれた頃、当時の教会の中に、自分は信仰を持っていると言いながら、身近な隣人を助けようとしない人たちがいたのでしょう。著者は、ことさら「ある人が」と仮定の問題として提起していますが、実際には、教会内に存在している事実を示しているのでしょう。それは、自分には信仰があると言っている人間の存在です。教会は信仰者の集まりですから、教会員はすべて「自分には信仰があ[…続きを読む]
汚れはどこから来るのか
2025年11月2日 創世記4:1~11、マルコによる福音書7:14~23 関 伸子_牧師 マルコによる福音書第7章において、ファリサイ派の人たちが主イエスを問いつめたのは、弟子たちが「汚れた手」でパンを食べ始めたからです。私たちにとって、「汚れた手」といえば、洗わない手のことであるのは自明ですが、マルコはわざわざ「つまり洗わない手」と言い換えています。このような説明が必要だったのは、「汚れた」と訳されたギリシア語〈コイノス〉には「汚れた」という意味がな[…続きを読む]
信じる者しか救わないせこい神様?
2025年10月26日 創世記書15:5~6、ローマ4:1~12 篠﨑 千穂子_牧師 今日は10月26日、私たちプロテスタント教会にとって重要な宗教改革記念日の週です。1517年10月31日、マルティン・ルターが95か条の提題をヴィッテンベルク城の扉に掲げたことが宗教改革のきっかけとなりました。私たちが母国語で聖書を読むことができるのも、その恩恵のひとつです。今日はルターが特に愛した「ローマの信徒への手紙」を通して、プロテスタント教会の三大柱――①「聖書[…続きを読む]
2025年10月19日 「目を覚ましていなさい」イザヤ書27:12~13、ヨハネの黙示録7:9~17 関 伸子_牧師 ヨハネの黙示録は新約聖書の中唯一の黙示文学書です。黙示文学は、現在の悪の世とその終わりの近づきつつある模様、来るべき輝かしい情景、神の勝利、メシアの来臨、信徒の救いなどを、意象や幻、獣や数字などによる遇喩によって描いています。ヨハネの黙示録もこのような方法によってイエスの再臨を描いたものです。 この書が書かれた当時の人びとは、当然のこと[…続きを読む]
神のふるまい
2025年10月12日 詩編90:13~17、テサロニケ二3:6~13 関 伸子_牧師 パウロはかつてテサロニケを訪問した際、信徒たちにキリスト者の日常生活について教え、またテサロニケの信徒への手紙一でも書き記しました。しかし、彼らの中には誤った終末信仰によって、艱難のゆえに彼らが熱狂的にキリストの再臨を待望し、日常生活の責任を疎かにして怠惰な生活をしている者がいるとの情報を得たので、パウロは再びその教えを厳しい調子でここに繰り返します。 この手紙の中[…続きを読む]