いのちの流れのほとりに立って
2025年12月28日 イザヤ49:7~13、ヨハネの黙示録22:1~5 関 伸子_牧師 聖書は創世記に始まり、黙示録で終わっています。最初にあったものが、最後に来ます。「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように光り輝く命の水の川を私に見せた」(1節)。創世記にあるエデンの園にも川が流れていました。新しい神の都にも川が流れています。ヨハネは引き続き、いのちの水の川を見せられました。この川は神と小羊の御座に発し、都の大通りの中央を流れ、すべての[…続きを読む]
マリアの賛歌
2025年12月21日 イザヤ書9:1,5~6 ルカ1:39~56 関 伸子_牧師 神の秘められた計画は人間の知恵を超えていますから、即座に人間には理解できません。マリアであっても、神の計画を直ちに理解できませんでした。天使ガブリエルの「おめでとう、恵まれた方」という挨拶に戸惑ったマリアに対して、天使が「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださ[…続きを読む]
喜びの始まり
2025年12月14日 イザヤ40:1~11、マルコによる福音書1:1~8 関 伸子_牧師 待降節第3主日を迎えました。3本目のローズ色の蝋燭に火を灯して主イエスのご降誕を待ち望みます。本日与えられているマルコによる福音書第1章1節は「神の子イエス・キリストの福音の初め」と書き出します。ここから新しい出来事が始まる。「福音の初め」、「福音」とは、「喜びのおとずれ」です。 クリスマスは、まさに神がこの地上に来られたことを喜び祝った出来事です。マルコによる[…続きを読む]
神の言葉を無にせず
2025年12月7日 エレミヤ36:1~10、マルコ7:1~13 関 伸子_牧師 教会暦に従うと、既に今待降節という季節に入っています。主イエス・キリストのご降誕を前に、み言葉に照らしながら、自らの真実の姿を、きちっと見て、主イエスのご降誕を待ち望む時です。 先ほどお読みしましたマルコによる福音書第7章1節から13節の中で8節、9節、13節に「あなたがたは神の掟を捨てて」、神の掟をないがしろにした」、「神の言葉を無にしている」とあります。「捨てた」、「[…続きを読む]
滅びを恐れず
2025年11月30日 イザヤ書51:4~11、マルコによる福音書13:28~32 関 伸子_牧師 「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マルコ13:31)。この箇所の中心になる主イエスの力強い宣言の言葉です。興味深いことは、主イエスが「私は決して滅びない」と言われているのではなく「私の言葉は決して滅びない」と言われていることです。滅びることのないキリストの言葉にだけ生きている教会においてこの言葉を聞く時、そこに光が射してきます。「私の言葉は滅び[…続きを読む]