カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • イエスの祈り

    2021年5月9日 詩編95:1~11、マタイ6:5~15 関 伸子牧師  マタイによる福音書第6章5 節から15節を読むと、私たちの行為が二種類に分けられることに気づかされます。一つは「人から見られている」行為であり、もう一つは「人の目から隠されている」行為である。  主イエスが弟子たちに教えてくださった主の祈りは神に向かう祈りですけれども、それと同時に私たちに語りかける神の言葉でもあります。「私は思っていた。祈ることは語ることだと。しかし私は知った。祈[…続きを読む]

    神への道を知る

    2021年5月2日 詩編98:1~9、ヨハネ14:1~14 関 伸子牧師  先ほどお読みしましたヨハネ福音書第14章1節と11節に「信じなさい」と最初と最後に置かれたこの言葉が全体の枠を構成しています。イエスは弟子たちに、自分とその言葉とを信じることを求めます。「私が行く所にあなたがたは来ることができない」(13:33,36)と言われた弟子たちの心は、とても動揺しています。主イエスは彼らに三つのことを語られます。まず、第一に、「心を騒がせるな。信じなさい」[…続きを読む]

    キリストを通して

    2021年3月24日 ネヘミヤ書2:1~18、コリント一12:1~13 関 伸子牧師  パウロはコリントの教会の人々の過去を想起しつつ、今日の箇所で真の霊を見分ける基準を明らかにする。霊のことというのは、大変分かりにくいことであります。目に見えない、ということも、そのひとつの理由でしょうけれども、信仰生活ということについても、目に見える、手で触ることのできることに心を奪われ、見えない神との交渉、その神から力を受けることについては、余り考えようとしないのでは[…続きを読む]

    ヨナのしるし

    2021年4月18日 詩編116:1~14、マタイ12:38~42 関 伸子牧師  今日のマタイ福音書第12章38節は「しるし」を求める律法学者やファリサイ派の人々の登場をもって始まります。「その時)」と話を始めることによって、前段に引き続き律法学者の態度を問題視していることがわかります。  「先生、しるしを見せてください」と律法学者とファリサイ派の人々の何人かがイエスに言います。ファリサイ派の人々は「しるし」と言うにふさわしい「しるし」(単数形)を求める[…続きを読む]

    見るべきものに目を向ける

    2021年4月11日 イザヤ書65:17~25、マタイ28:11~20 関 伸子牧師  復活の主イエスが墓を訪ねた女たちに現れ「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」と言いった後の女たちと番兵たちの対応はまったく違っていました。  祭司長たちは、イエスの弟子たちがやって来て彼を盗み、「彼(イエス)は死人たちの中から起こされた」と言うかもしれないからという表面上の理由で、イエスの墓に番兵を配[…続きを読む]