いのちの真理
2024年9月1日 エレミヤ書28:1~17、ヨハネの手紙一5:6~12 関 伸子牧師 イエス・キリストは人びとを、とりわけ、悩み苦しむ者を愛し、最も小さい者たちを御自分の周りに置かれました。しかし、その結果は、十字架につけられるという敗北であったようにも見えます。けれども、十字架は終わりではありません。復活が続きます。復活は、この人類を愛しぬかれた神の子が、最後に勝利することを意味しています。ここで「世に勝つ」と言っているのは、「世俗」の意味です。この[…続きを読む]
解放
2024年8月18日 出エジプト記34:4~9、ヨハネ8:1~11 関 伸子牧師 朝早くイエスが神殿境内で民衆に教えていたとき、律法学者たちやファリサイ派の人々が姦通の現場で捕らえた女性をイエスのもとに引き立て、真ん中に立たせます。 もしイエスがこの女性に石殺しを命ずるなら、ローマの禁令を犯したかどでイエスをローマに訴えることができるし、逆にこの女性を大目に見て釈放するなら、律法違反と騒ぎたてることもできます。どちらにしても、イエスを訴えられるのですか[…続きを読む]
力を合わせて働く
2024年8月11日 ヨブ記28:12~28、コリントの信徒への手紙一3:1~9 関 伸子牧師 パウロはこういう手紙をいくつもの教会に送りました。パウロは、第2章の終わりに、「私たちは、キリストの思いを抱いています」と語りました。そういう言葉を聞いていると、私たちもうなずきながら聞きます。実際に、コリントの教会の人々の生活を見て、その信仰を考えて、それにふさわしいように話をしようとしているのです。そうしてみると、この教会の人びとは、まだ、幼子のようなもの[…続きを読む]
神の子どもたちの喜び
2024年8月4日 士師記6:36~40、ヨハネの手紙一5:1~5 関 伸子牧師 「世に勝つ信仰」ということを教会学校に通っていた子どもの頃からよく聞いてきました。しかし、それがどういうことなのか深く考えてこなかったと思います。ロシアとウクライナ、パレスチナとイスラエルで戦争が終わらない。沖縄に基地はいらないと声を挙げている人の命が奪われる、そのような世で心痛める日々の中で「世に勝つ信仰」というのはどういうことか。今日みなさんとご一緒に読むヨハネの手紙一[…続きを読む]
思いきり泣ける場所がここに
2024年7月28日 詩編56:9~10、ルカによる福音書17:36~50 関 伸子牧師 東小金井教会は1964年7月26日、中町の借家で第1回礼拝(出席11名)をささげてから60年経ちました。2020年以降、コロナ禍を経た今も、欠かさず礼拝がささげられてきたことを感謝しつつ、今日は宣教60周年記念礼拝をささげています。 ルカによる福音書第7章の最初に百人隊長の僕のいやしの物語が記されており、次にナインの町におけるやもめの一人息子のよみがえりという主イエ[…続きを読む]