イエスを信じる
2020年10月4日
エレミヤ28:1~17、ヨハネ10:22~42
関 伸子牧師
2週間前の礼拝において、ヨハネ福音書第10章1節から21節までご一緒に読み、イエスは良い羊飼いであることを覚えて励まされました。今日、その続きの22節から42節を読むにあたり、福音書記者ヨハネは、わたしたちが乳といった柔らかい食物で養われるのではなく、硬い食物を食べることを願っていることを心に留めたいと思います。
22節を読むと、第10章7節から21節に記されているまことの羊飼いの話は、神殿奉献記念祭の頃になされたようです。この祭りは12月に行われる冬の祭で、仮庵祭のおよそ2か月後、8日間エルサレムの神殿で営まれる国民的な祭りでした。シリアの王アンティオコス4世によるエルサレムの攻略、神殿の略奪の屈辱を黙視できなかった祭司マタティアたちによる『マカバイ戦争』は、紀元前165年、神殿の奪還を成就した。神殿を清め記念礼拝を奉献したことを記念し、この祭りを営みました。「冬であった」と記されています。「冬」は、原語では「嵐」をも意味することから分かるように厳しい季節であり、イエスにとって冬の厳しい時であった。
イエスを取り囲んだユダヤ人たちは、「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい」(24節)と迫った。これは奇妙な質問でした。イエスはこれまでに何度となくご自分が父から遣わされた者であることを明白に告げられたからです。ユダヤ人たちは、イエスのようにその出自が貧しく、その運動が政治的・社会的ではなく、その行動が安息日の律法に背き、その主張が自分を神の子となすような人物は到底彼らのキリスト観を満足させる者ではなかったのである。するとイエスははっきり「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている」と答えられた。
ヨハネによる福音書第10章14節でイエスはこう言われました。「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」。そして、今度は、イエスの羊はイエスの声を聞き、イエスは自分の羊を知っており、羊たちはイエスに従うと言われる(27節)。イエスと弟子たちの間では、お互いに知っているという基盤に立った対話がもたれます。 ヴァルター・リュティというスイスの牧師の小説教集『この日言葉をかの日に伝え 小説教一日一章』、ヨハネ福音書第10章28節の文章にこのように記されていました。「私たちは、ここで訊ねられている。『お前は、信仰において、敢えて、この羊飼の手の中にいる(その庇護のもとにいる)一匹の羊でありたいと思うのか』と。ということは、キリストの信仰共同体が、時代の狼たちのただ中にあって、一匹の羊である覚悟があるかどうか、ということである。狼たちと共に吠えることの方が、やさしいのである。しかし、羊だけが『彼らをわたしの手から奪い去る者はない』という約束を持っている」。このように考えるならわたしたちは大丈夫です。どんな嵐にも耐えることができます。なぜなら、イエス・キリストがわたしたちを選んでくださったからです。
ユダヤ人たちは、ここに至るまでは我慢していましたが、主イエスが「わたしと父とは一つである」(30節)と言われるのを聞いた時は我慢しませんでした。そして頑なになり、石を取ってイエスに投げ付けようとした。主は石を投げようとする者たちに対してなおも語られた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか」。彼らは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ」。ユダヤ人たちは、イエスは神を冒瀆する者とはっきり決めつけたのです。その理由は、イエスがご自分を神と等しくしたということです。イエスはこの者たちが真理の輝きに耐えられないのを見て、それをことばで和らげられた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか」(34節)。神が詩編において預言者を通して人々に「わたしは言った、あなたがたは神々である」(詩82:6)と言っておられる。イエスによれば、神の言葉を受けた人々が「神々」と呼ばれるなら、神の言葉そのものを語るイエスは神そのものなのであり、控え目に「神の子」と言っても、決して「冒瀆している」ことにはならないのである。
そしてイエスは続けて言われます。私の業、すなわち父を示す私の業を信じなさいと。わたしたちは、イエス・キリストの十字架の罪の赦しと復活の生命を通して、父なる神の無条件の愛を知ることが出来るのです。その時、ヨハネが言うように「父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいること」を知り、悟ることが出来るでしょう。そしてそのことを通して「わたしが父の」内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(14:20)のです。
聖書は記します。「そこでは、多くの人がイエスを信じた」と。どのように悪い環境の中でも、必ず神が選ばれる者がいる。恐れてはなりません。「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」。こう言われる主を仰ぎみたいと思います。現在のような厳しい状況にあっても、聖霊の働きにより、神の独り子主イエス・キリストを救い主と信じる者が増し加えられますように。お祈りいたします。