カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

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  • よい時も、わるい時も、神は傍にいてくださる

    2021年8月22日
    詩編23:1~6、ローマ8:26~30 
    朽木 順子長老

     今日、証しの時を与えていただいて、私のような欠けだらけの者にと、不安と畏れがありました。思いと言葉をお与え下さるように祈ってまいりました。長老として仕えさせていただく中で、失敗もありました。神さまは憐れんで下さり、気づかせて下さいました。失敗をもお用い下さるように思います。そして、いつも教会の皆さまの執り成しの祈りがありました。感謝のほかはありません。

     「最上のわざ」という詩をご存知でしょうか。ドイツ人のヘルマン・ホイヴェルズ神父が、南ドイツに帰郷した時に、友人から贈られた詩と聞いています(「人生の秋に」より)。ホイヴェルズ神父はイエズス会宣教師として、関東大震災の直前に来日、以来54年にわたって、日本で働かれました。
     
     この「最上のわざ」を書いた紙を、私の母は枕もとの壁に貼り、折りにふれて読んでおりました。母は70歳代で難病を患いました。母は、妹家族と一緒に住んでおりました。母の病状が進むにつれ、妹家族の負担は厳しさを増していきました。私は、色々な事情から、母を我が家に引き取ることは難しいと思っていました。妹と一緒に母のお世話をする、という一歩を踏み出せなかったのです。妹を守って下さったのはイエス様でした。教会の信徒の方々の祈りでした。

     母が救急車で搬送されたという知らせを妹から受け、姉と私は病院に駆けつけました。誤嚥性肺炎でした。「もともとの病があるので覚悟してください。」と、医師から告げられた時から、私たち姉妹は、一日を3人で交替して母の付き添いを始めました。耳は、最後まで聞こえるから話してあげてくださいと主治医から聞きましたので、賛美歌や唱歌を母の耳元で歌い祈りました。母の付き添いを3人で始めて2ヶ月余り、妹夫婦が見守る中、母は召されました。母は献体を希望しておりましたので、体は東京女子医大に運ばれ、教会での葬儀は、母の髪の毛を小さい箱に入れた形で行われました。全てが終わりましてから、妹から「この2カ月、3人で協力してお母さんのお世話をすることができて良かった。それまでどうして私一人でお母さんのお世話をするのかわからなかった。この2カ月があって本当に良かった」と言われたのです。
     
     神さまは、私たち姉妹の絆を結び合わせて下さり、私たちを和解へと導いて下さったのだと思います。神さまが用意して下さった日々であったことを思い感謝です。
    教会を長い間離れていた私の中で何かが変わりました。教会に帰りたい、教会に戻ろうという思いでいっぱいになりました。同じように、教会を離れていた姉も教会に帰ったのです。神さまは私たちをつかんでいて下さいました。

     「神を愛する者たち、神から召されている者には、すべてのことが相働きて益となることを知っています。」 東小金井教会の今年の主題聖句です。私たちの現実を見ると、糸が絡み合っているように出口が見えないと思う時があります。人の目には見えないけれど、召されている者に、全てのことが相働きて益となるよう、神さまが最善を成して下さる。皆さまも、これまでの信仰生活の様々な場面で、このことを、実感されてきたのではないでしょうか。

     私たちの人生は、常に順風満帆というわけではありません。どうして、こんな試練に遭うのか、理不尽と思うことが度々あります。病気、大切な人との別れ、失業、倒産、リストラ…私もリストラされた経験があります。

     詩編23編の作者は、その困難の中にあって「たとえ死の陰の谷を歩むとも災いを恐れない。あなたは私と共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。」と言いました。どんな状況にあっても、よい時もわるい時も、どん底にあると思う時でも、神さまは傍にいて下さると信じていたからです。迷い出た1匹の羊を、とことん探し出して、見つけたら喜んで、その羊を担いで家に連れ帰って下さる羊飼いがおられるからです。悲しみや苦しみにある時、どうして自分の身にふりかかるのか、意味がわからない時があります。それでも、その時に神さまは共にいてくださったと思える時が、いつか来るのだと思います。

     迷い出た羊を探して、家に連れ帰ると約束してくださったイエス様は、弟子たちに向かって「もはやあなた方を僕とは呼ばない、友と呼ぶ」と言われました。
     ホイヴェルズの「最上のわざ」はこういう言葉で終わっています。「来よ 我が友よ、我 汝を見捨てじ」と。

     主はすぐ近くにおられます。今、生かされていることは、神さまの恵み、主からの賜物。生かされている今日一日を、神さまに助けていただいて、喜んで生きる力が与えられますように、心から祈ります。