カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 希望に生きる

    2022年1月2日
    エゼキエル書14:12~23、ペトロの手紙一1:3~9
    関 伸子牧師

      新年最初の礼拝をささげています。年末には、過ぎ去った年がどうであったか振り返ることがあったと思いますけれども、新しい年が明けると、不思議なほど私たちの心が高く挙げられ、希望をもって日々を歩んでいこうと思うのではないでしょうか。私たちは信仰生活をしている者たちであります。その信仰者の特徴の一つは神をほめたたえて生きる、その中で神の言葉を聞くことであります。

     ペトロの手紙一第1章を読むと、1節と2節の挨拶に続き、神への賛美と感謝が一気にほとばしり、3節でペトロは、これだけは何が何でも伝えなければならないこととして、「私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように」と言い、その後ですぐ、「神は、豊かな憐れみにより、死者の中からイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました」と言いました。ここでキリストの復活を語り、この復活の出来事の確認に続いて、すぐに、「生ける希望を与え」と書いています。死者は汚れているとされていましたから、そのような死人を生き返らせることは、「霊により聖なる者とされ」る(2節)最終的で究極的な行為であり、イエスも死を経て復活したことは、この世で生き続ける人々の希望の源泉であります。「新たに生まれさせ」という言葉は、「新しく造る」という意味です。キリストの甦りは二千年以上前にパレスチナで起こったことです。それによって、今、この日本の小金井の地に生きている私たちが新しく造られるのです。

     ここに見る神への賛美が、神の従うキリスト者の生活の第一歩であり、基礎であります。私たちの礼拝の歌は、その賛歌の内実において、その力において、賛美歌の専門家である天使たちが、覗き込まなくてはおれないほどの魅力的な賛美の喜びを、その喜びを歌うすべを私たちは知っているのだと。言うまでもなく、賛美の歌は喜びから生まれます。教会の本当の力は賛美歌を歌う力です。私たち人間は、神を知ってあがめる者、つまり神を賛美する者として創造され、生かされています。だから、神への賛美を抜きにしては、信仰はわからないし、自分が存在していること自体もむなしくなってしまいます。神を知り、その神を喜びほめたたえること人間本来のあるべき姿なのであります。
    しかし、私たち自身の中から自然に賛美は生まれてきません。恵みは、主イエス・キリストのみわざのゆえに与えられるということをはっきり自覚する時、私たちの中にも神への賛美がわきあふれ、心は喜びで満たされます。「私たちの主イエス・キリストの父なる神よ」と神に向かって呼びかけることのできる恵みをじっくり味わい、そのことを思い巡らす時に、大きな喜びに満たされるのです。この点を、「それゆえ、あなたがたは大いに喜んでいます」と、受信者たちの内的状態を確認し、8節では「喜びにあふれています」と書いております。賛歌から現れてくる喜びの言葉を記しているのです。ペトロは、あなたがたの喜びを私も見て喜ぶというのです。ちょうど天使が覗き込むように、私も覗き込むのだと言うのであります。そのうえで、「今しばらくの間、さまざまな試練に悩まなければならないかもしれませんが」と受信者たちが直面している困難な状況に言及しています。迫害の危機が迫っているローマの都において手紙を書いたと言われているペトロは、その困難な状況にあっても、使徒として、伝道の責任をもっている者として、ペトロも、この手紙を受け取った人々も同じ喜びに生きているのであります。そのペトロは、受信者たちの恵みの立場をすでに鮮明に記述しているので、さまざまな試練や悩みは「イエス・キリストが現れるときに、称賛と栄光と誉れとをもたらすのです」(7節)と言い切ることができました。

     「キリストの甦りにより」ということに、さらに、「わたしたちが洗礼を受けることによって」ということを、つけ加えなければならないということにもなります。あるいは、5節に「信仰によって」とあり、7節でも「信仰」、8節でも「信じており」、9節でも「信仰の目標」というように、何度も信仰について語っていますから、イエス・キリストの甦りにより、また、それを信じる私たちの信仰により、私たちは、新たに生まれさせられたと言い得ます。信仰により、洗礼を受け、主イエス・キリストの甦りが私たちを生かす。ペトロもそのことをよく知っていたに違いありません。

     神の憐れみは、単に御子イエスをこの世に与えたことだけでなく、イエスを復活させることによって、イエスを通して神を信じるすべての人々を最終的に復活させる点においても示されています。信仰によって神から生まれた者は希望による慰めを受け、聖霊が私たちの中で働き、私たちの心が神と共にあるという明快で、力強い確信が与えられるのです。この希望に生きるみなさんお一人おひとりの信仰の歩みが、いつも、どのようなときにも、「にもかかわらず」、心に喜びを持ち、互いに祈り合い、支え合って、イエスに対する信仰をこの世で維持し続けることにより、魂の救いを得てこの道を歩んでいきたいと願います。お祈りをいたします。