すこやかな歩みを
2023年8月13日
エゼキエル書12:21~28、テサロニケへの手紙一1:1~11
関 伸子牧師
パウロは第二伝道旅行(49~53年)で初めてギリシアに足を踏み入れ、フィリピについで、テサロニケに教会を設立しました。そこを離れた後も教会の様子を心配し、テモテをテサロニケに送ります。テモテとコリントで合流しますが、彼がテサロニケの人々は信仰にしっかりと立っていると報告したのを受けて、52年頃に、コリントから書いた手紙がテサロニケへの手紙です。
パウロたちはテサロニケの人々のことを、ことに彼らの「信仰と愛と希望」(3節)を思い起こして、神に感謝しています。なぜなら、「信仰と愛と希望」こそが、神からの命にとってその要点となるからです。この信仰、愛、希望の三つは、コリントの信徒への手紙一第13章と同じものです。信仰と愛と希望は「いつまでも残る」ものとしてキリスト者の恵みの本質を示すものです。
戦時中、ドイツの教会は、ヒトラーと調子を合わせたドイツ教会と、それに対して反対した告白教会との二つに別れました。私たちが良く耳にするデイドリッヒ・ボンヘッファー牧師も告白教会の人であり、おおぜいの仲間と共に投獄され、ついには殉教していきました。しかし、彼は希望を持っていました。神は、御心に従っていくものには、必ず解決の道、勝利の道を与えてくださるという希望でした。どんなにいま権力者たちがむちゃなことをしていても、最後には神が勝利されるという確信を持っていました。それが、やがて神の前に立ったとき、喜ばれるという信仰となっていたのです。私たちは、天国や、主の再臨を信じて生きていくということが、今の自分の生活とどのくらい結びついているのでしょうか。いまの苦しみや回り道をしているように思われることが、実は主の再臨と結びついていると確信して、それを信仰の原動力として耐えていきたいものです。
パウロはテサロニケの人たちに、聖霊による力強い働きをすることができました(6節)。パウロたちの内に働いた聖霊のみわざは、伝道の対象であったテサロニケの人々の内にも動揺に力強く働きました。テサロニケの人々は、当然迫害が予想される中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れた。そして喜びにあふれていました。外からは多くの苦難。しかし内からは聖霊による喜び。苦難と喜びが共存し得るというのは、まさに聖霊の働きにほかなりません。
8節で、パウロは、テサロニケの人々に神の言葉が「らっぱ」のように「マケドニアやアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところに伝わっている」と述べています。人間の言葉だけでは、人を悔い改めさせることはできません。感心させることはできても、人の心をひっくり返すことはできるものではありません。聖霊が、一人ひとりの魂に及んでいって、みわざがなされる。しかし、それも、祈りの備えが、霊的な備えができているかどうかによってであることを覚えておきたいと思います。大切なことは、教会が霊的な備えをして待つということです。
「悪事千里を走る」と言って、悪い行いはあっという間に広く知れ渡りますけれども、反対に「好事門を出ず」で、とかく良い事は世間に知られにくいものです。しかし、テサロニケの人々が伝えるみことばと彼らの信仰とは、破竹の勢いで周囲のギリシアの町々に広まっていきました。それも彼らが大いに自己宣伝したからではありません。マケドニアとアカイア地方にいる他のキリスト者たちの口を通して、彼らの良い評判は知れ渡っていったのです
それほど評判となった彼らの信仰の中でも、特に際立っていたのは、彼らが偶像から立ち返ったことです(9節)。ギリシア文化の中心地であるアテネを訪れた時、パウロは死内にあるおびただしい数の偶像に憤りを感じましたが、それは同じギリシアの地方都市テサロニケにおいても同様でした。かつて多くの偶像の神々に仕える生活と決別したテサロニケの人々に対して神のみわざがなされたということは、同じように異教の神々に取り囲まれている日本のキリスト者にとって大きな励ましです。
テサロニケの人々は偶像の神々をきっぱりと捨て去り、今度は「生けるまことの神に仕える」者となりました。10節には、イエス・キリストが、死者の中からよみがえった復活の主、さばきの日に神の怒りから私たちを救うために来られる再臨の主として示されています。キリスト者は少数かもしれません。しかし、たとえどんなに少数であっても、このようにしてまことの神に立ち返っている人々がいるという事実は重い。そのこと自体が力ある神の事実なのです。
まことの神に立ち帰った私たちは、はかない楽しみに捕らわれることなく、主の再臨に備えていたいものです。永遠の喜びを心に抱いて、罪から遠ざかり、すこやかな歩みを続けていきたいと思います。お祈りをいたします。