カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • 神の家族

    2024年9月29日
    ルカ8:1-3、19-21
    平 尚紀_牧師(成瀬教会)

     今年の合同礼拝のテーマは「神の家族」です。先ほども申しましたように私たちはイエス・キリストによって結ばれた一つの家族です。もっとわかりやすい言葉で言うなら、私たちは皆、イエス様によって赦された神さまの子どもです。

     ところで、「神の家族」って何度も言っていますけれど、家族っていったい何でしょうか?一緒に住んでいることでしょうか?血が繋がっている血縁関係のことでしょうか・・・?最近では飼っているペットも大事な家族だと考える人が増えています。私は、以前にタイから来た留学生を家族に迎え一緒に生活したことがあります。タイに戻ってもその人は家族です。そのように血縁関係でなかったとしても、例え一緒に住んでいなくても、遠く離れていても、家族と言うのではないでしょうか。
    また、家族という言葉に温かみや親密感を感じる人もいれば、その逆に、自分を縛り付け、苦しいものと感じる人もいます。家族と言う言葉に対して怖さを感じたり、嫌な経験を思い出したりする人もいます。実は「家族」を定義することはとても難しいことです。

     しかし、私たちは神の家族です。ですから、聖書に記されている家族を知る必要があると思います。そこで、聖書から「家族」と言う言葉を探してみますと、ノアの時代、箱舟によって救い出されたのノアの家族と箱舟に乗った動物たちでした。さらに兄弟の妬みによって奴隷として売られてしまったヨセフは、家族全員をエジプトに迎え入れました。その後エジプトで奴隷として苦しめられていた人々に、神はモーセを遣わし救い出されましたが、その際に、家ごとに集まって災いを通り過ごし、家族ごとに脱出しなさいと命じられました。神の子イエス・キリストの教えによって集まった人々が教会を造りましたが、初期の教会は家ごとに集まっていたことから家の教会と呼ばれています。イエスの弟子たちは、大勢の人の前で「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。(使徒16:31)」と宣言し、その福音を宣べ伝えたパウロは、その手紙の中で「特に、信仰によって家族になった人々に対して善を行いなさい。(ガラ6:10)」と教え「あなたがたは・・・聖なる民に属する者、神の家族(エフェソ2:19)」だと書き残しています。神の救いや祝福という観点において、家族とは大切な単位だと聖書は教えています。

     だからと言って聖書は、「家族」を夫婦や血縁関係といった関係だけを示しているのではありません。むしろ、その家で働いていた人たちとその子どもまで、家で飼っている家畜、あるいは寄留者と言ってその家に一時的に一緒にいた人達までも家族だとしています。イエスの弟子たちも家ごとに持ち物を持ち寄り集まって教会を立て上げて行きました。つまり、聖書が教える家族とは、集まって食事をし、一緒に楽しみ、共にいることであり、愛する関係や、支え合う関係性にあって、一緒に生きる人たちの集まりを家族と呼んでいるように思います。今日のイエス様のお言葉からもそのことはよく分かります。

     イエス様のそばにはいつも大勢の人が集まっていました。そこに居たのは夫婦でもない、血縁関係でもないそういう人たちが大勢イエス様のそばに集まっていた。イエス様がおられる家には、いつも大勢の人が集まって来た。病気を癒してもらいたい、イエス様の話を聞きたいという人達です。お母さんや兄弟たちが中に入ることができないほどあふれかえっていたのです。それでも、イエス様は話を聞きたいと集まってくる人たちを大切にしてくださいます。「私の母、私のきょうだいとは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである(ルカ8:21)」

     今年、東小金井教会は宣教開始60周年を迎えられました。私たちは自分の事のように喜ぶことです。これまでに多くの喜ばしい働きや様々な苦労があったことだと思います。嬉しいことばかりではない。辛く悲しいこともあったことでしょう。そして、中には目に触れないような働き、記録や記念誌などにも残っていない小さくて目立たない働きが実にたくさんあったことだと思うのです。教会はそういう働き無しに成り立って行かないからです。目立つような働きもあれば、目立たない地味な働きもある。家族ってそういうものでもあると思います。でもそれを自慢したり、威張ったりしない。あるいは対価を求めたりしない。それが家族です。教会は一緒に生きる家族です。

     得意なこともあれば苦手なことも違う。できることを少しずつすればいい。無理に着飾ったり、強く賢く見せる必要もない。普段通り、自分らしく、安心してそこに居て良い。それが家族です。

     神さまは、私たちに大切な家族という存在を与えてくださいました。一人一人がそれぞれに大切にしているものを持ち寄って、自分ができることを少しずつ出し合って、一緒に生きていく。あなたがあなたらしく、そしてお互いを大切にする。
    私たちは、神の言葉を聞いて行う人たち、神の家族です。