思い切り泣ける場所がここに
2023年7月16日 詩編56:2~9、ルカによる福音書7:36~50 関 伸子牧師 主イエスはよく食事をなさいました。本当に食事好きであったようで、この第7章のすぐ前、34節のところでは、「大食漢で大酒飲みだ」と人びとに言われたらしいのです。こういう噂が生ずる根拠があったに違いありません。ここでは、ファリサイ派の男、後にシモンと主イエスに呼ばれている人の家に主イエスが招かれました。当時の食事というのは面白いことに、どうも横になって食事をしたらしいのです[…続きを読む]
居眠りして生き返る
2023年7月9日 詩編35:1~10、使徒言行録20:1~12 関 伸子牧師 3年に渡るエフェソでの伝道に一応のピリオドを打ったパウロは、マケドニアを経てギリシアに来ました。「そこで三カ月を過ごした」(3節)。第19章21節で、パウロは「ローマも見なくてはならない」と語りました。これから自分の旅行の最終目的はローマであると見定めてコリントに滞在したときに、ローマの信徒への手紙を執筆しました。そのことを思うだけで、「そこで三カ月を過ごした」と記されている[…続きを読む]
さんびする教会
2023年7月2日 ルツ記1:1~5,19~22 使徒言行録11:4~18 関 伸子牧師 異邦人であるコルネリウス一家にペトロが洗礼を授けたということが使徒言行録第10章に書かれています。このことをきっかけにして、福音は、ユダヤ人以外の人々にも宣べ伝えられ、やがて世界中へと広がっていくことになります。使徒言行録の著者ルカは、この出来事は人間が判断して行ったことではなく、聖霊によって導かれた神の業であると伝えます。 ユダヤ人から見ると、異邦人[…続きを読む]
走り寄る伝道者
2023年6月25日 エゼキエル書34:1~6、使徒言行録8:26~38 関 伸子牧師 かつて、主の天使は牢屋の戸を開けて、閉じ込められていた使徒たちを連れ出したことがありました(使徒5:18~19)。天使の言動は、主なる神の言動そのものとして必ず実現するものであり、フィリポも天使の言葉に従います。 「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け』と言った。そこは寂しい道である」(26節)。フィリポはエルサレム[…続きを読む]
あなたにも開眼が
2023/6/18 イザヤ書50:4、 ヨハネによる福音書29:1~12 濱崎 孝牧師(隠退牧師) 「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。」(1節)―福音書が伝えようとしている出来事の導入句、状況説明が、もう福音の宣言になっています。キリスト・イエスさまが、限りなく深いご慈愛の眼差しで「人を見かけられた」のです。そして、それは、その時だけのことではなく、最初からそうだったのであり、これからもその祝福は変わらないという嬉しい[…続きを読む]