今この時、隣り人に
2019年10月27日 ヨシュア記24:4~5、コリントの信徒への手紙二6:1~10 めぐみ教会代務者 石塚 惠司牧師 ヨシュア記24章の鍵となる言葉は「主に使える」。ヨシュアは『私と私の家族とは主に使える』と語り、自覚的に信仰を告白している。私たちにとって家族伝道は日々の祈りだ。その道半ばにあり、苦闘している自分がいる。父の祈りにはいつも『私と私の家とは主に仕える』があったが、それは今の私の告白でもあ[…続きを読む]
共に生きる喜び
2019年10月20日 カンバーランド長老キリスト教会 東小金井教会 臼井 正人 長老 旧約聖書 詩編 34編12節~23節(864頁) 新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章9節~21節(292頁) 今朝はアジア教職者修養会で香港へ行かれている関伸子牧師に代わり、説教をすることになりました。このように皆さんに向かって説教をすることになるなど、全くの想定外でして、祈祷会での奨励でも四苦八苦する私に務まるのだろうか、とは思いつつ、これも神さまから与[…続きを読む]
イエスの焼き印を身に受けて
2019年7月14日 イザヤ書66:10~14、ガラテヤ6:11~18 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(17節)。パウロは手紙を閉じるにあたって、自分が何者であるのかを改めてガラテヤの人々に告げた。焼き印は英語では「ブランド」。その印によってどの店のブランドがわかるように、パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」のだ。パウロは、わたしはイエスのものだ。もっといえばわたしはイエスの奴隷だ、と告白している[…続きを読む]
み翼の陰に
2019年6月16日 詩編17:1~15、マタイによる福音書23:37~39 濱崎 孝牧師 詩編17編の「あなたの翼」、これは主ヤーウェの翼、口語訳聖書では「みつばさ」でした。詩の表題は、「祈り。ダビデの詩。」(1節)。信仰の詩人ダビデは、「あなた(主なる神)に逆らう者がわたしを虐げ/貪欲な敵がわたしを包囲しています」(9節)という苦境の中から、「瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください」(8節)と祈り求めたのです。14節には、「御もとに隠[…続きを読む]
子どもの声が聞こえるか
2019年5月19日 詩編8:2~3、マタイによる福音書21:12~17 荒瀬 牧彦牧師 「宮清め」と呼ばれてきた箇所だが、初めて読んだ方は、「宮清め」ではなく「大暴れ」と思われたのではないだろうか。神殿の境内で、いつものように商売をしていた人たちを追い出して、その人たちの台や椅子をひっくり返した。なんでこんなことをされたのか。イエス様は、大暴れの後にこう言われた。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている[…続きを読む]