カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

礼拝説教の要旨をご紹介しています

  • 〒184-0011

    東京都小金井市東町2-14-16

    0422-31-1279(電話・FAX)

  • 主の光の中を歩もう

    2024年12月1日 イザヤ書2:1~5、マタイ24:36~44 関 伸子牧師     待降節第1主日に、キリストの再臨を述べる箇所を読みました。キリストのご降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。マタイによる福音書第24章36節以下では、「目覚め、わきまえ、備えて」生きるべき存在だと教えています。  ノアの時代の人々は、洪水が襲ってくることにも、それがいつ起こるのかも気づくことができませんでした。洪水は人間には計り知れない神の思いに[…続きを読む]

    神の言葉は生きている

    2024年11月24日 ミカ書2:12~13、ヨハネの黙示録19:11~16 関 伸子牧師  先ほどお読みしました第19章11節以下は、「私は見た」(11,17、19節)という言葉によって三つの幻に区分されています。今日は第一の幻のところを読みましたが、ここに、天が開かれる光景が語られ、圧倒的な光の世界から白馬にまたがった騎手が登場します。白馬の騎士の目はすべてのものを透徹し、めらめら燃える火のように輝き、頭にはすべてのものを統治、支配する多くの王冠をいた[…続きを読む]

    惑わされない歩み

    2024年11月10日 創世記13:1~18、ガラテヤ3:1~14 関 伸子牧師  「ああ、愚かなガラテヤの人たち」。開口一番、厳しくガラテヤのキリスト者たちをしかりとばすパウロ。「愚かなガラテヤの人たち」。これは「物分かりの悪い」とも訳せる語で「無理解な人」、「分からず屋」を意味しています。理解力の不足ではなく、理解をまちがえた、ということです。しかし、次の瞬間にはやさしく問いかけます。「誰があなたがたを惑わしたのか」。十字架につけられたイエス・キリスト[…続きを読む]

    キリストの献身

    2024年11月3日 イザヤ44:6~17、ローマの信徒への手紙3:21~31 関 伸子牧師  ローマの信徒への手紙は、第3章21節は、「しかし今や」と言って、新しい話がはじまります。神の義は福音の中に記されたのである、これが言いたいことのすべてです。人間は、人をさばく罪、人をさばくことによって、ようやく自分をささえる、そういう心があります。信じるということは、さばくことを止めるということです。  神が人間に言うことのできた最も良い言葉を、パウロは「イエス[…続きを読む]

    大いなる救い

    2024年10月13日 士師記11:29~40、ヘブライ9:1~14 関 伸子牧師  ヘブライ人への手紙は新約の手紙の中では特殊のものと言われており、本書は「勧告の言葉」(13:22)、つまり説教です。「最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました」と第9章1節に記されています。ここで、礼拝の話を始めています。今日の箇所の直前の13節には「神は『新しい契約』と言われることによって、最初の契約を古びたものとされたのです」と記されています。何が新しくな[…続きを読む]