神への道を知る
2024年5月26日 イザヤ書40:12~17、ヨハネによる福音書14:1~14 関 伸子牧師 今日のヨハネ福音書では、最初と最後に置かれた「信じなさい」(1、11節)という言葉が全体の枠を構成しています。主イエスは弟子たちに自分とその言葉を信じることを求めます。「私が行く所にあなたたちは来ることができない」(13:36、36)と言われた弟子たちの心は、惨めなほど動揺しています。それに対してイエスは弟子たちに「心を騒がせるな。信じなさい」と呼びかけま[…続きを読む]
神の霊に守られる
2024年5月19日 エゼキエル書437:1~14、ヨハネによる福音書14:15~23 関 伸子牧師 主イエスが十字架に掛けられ、死んで、葬られて3日目に復活されたイースター(復活祭)から50日目に、キリストの弟子たちの上に天から聖霊がくだり、教会が誕生した日をペンテコステ(聖霊降臨日)と言います。 主イエスの復活から50日後、五旬祭の日に不思議な出来事が起きます。人々が集まっているところに、激しい風と共にやってくる。ギリシア語では風は霊と同じ語源です[…続きを読む]
いのちの流れを知る
2024年5月12日 列王記下2:1~15、ヨハネによる福音書7:37~39 関 伸子牧師 「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい」(37節)。この言葉が語られたのは、仮庵祭という祭りのクライマックスの時でした。 「祭りの終わりの大事な日に」(37節)が7日目を指すのが8日目なのかはっきりしませんが、7日目の水注ぎの儀式のときであるとすれば、これから語られるイエスの言葉が一層効果的な意味を持つことになります。ミシュナ(「反復」を意味し、ユダヤ[…続きを読む]
勇気を出して生きることができる
2024年5月5日 詩編8:1~10、ヨハネによる福音書16:25~33 関 伸子牧師 「私はこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」(25節)。主イエスは、いつもは群衆に向かってはたとえ話の形で教訓を与えましたが、弟子たちには、人のいない時にその意味を説明されていました。ただし弟子たちに対する話も、イエスが肉体をもって地上に生きておられる間は、程度の差こそあれ、やはり、たとえ話の性質を帯びざる[…続きを読む]
イエスの愛に生きる
2024年4月14日 イザヤ書61:1~3、ヨハネによる福音書21:1~14 関 伸子牧師 復活のイエスは、マグダラのマリア、ペトロと主の愛した弟子に現れ、かつて弟子たちと過ごされたティベリアス湖にも現れます。ここで誰もがこの福音書を読んだときに疑問に思うことがひとつあります。それは第20章において、マグダラのマリアから始まり、甦りになったイエスに会った人たちが何人もいた。弟子たちもそうであった。主にわざわざ訪ねていただいて「平安があるように」と祝福を受[…続きを読む]