美しい行為
2020年7月19日
コヘレト3:1~8、マルコ14:1~11
濵﨑 孝 牧師(カンバーランド隠退牧師)
マルコによる福音書14章には、「イエスを殺す計略」や「ユダ、裏切りを企てる」という小見出しが見出されますね。救い主イエスさまに、祭司長たちの暗殺計画やお弟子の裏切りが襲いかかり、まるで暗黒の底なし沼に呑みこもうとしているかのようだったのです。イエスさまを覆う非常に暗い夜空……。新型コロナウイルスが襲ったこの時代の世界も深刻に暗いですが、ナザレのイエスの時代は、比類ない恐怖に満ちた真っ暗闇だったのです。
しかし、私どもは福音書の中の漆黒の夜空に、美しい星が点ったのを見出します。それが、3節以下で読む出来事です。ベタニアのシモンの家で、「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(3節)のでした。壺を壊すのは別にして、当時は、客へのおもてなしとして、香油を数滴注ぎかけることがあったのです。
ところが、あの行為について、ざわめきが起こりました。「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った」(4節)のです。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は3百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」(4、5節)……。「そして、彼女を厳しくとがめた」(5節)のでした。
あの女性への批判をキリストは叱り、ご自身はあの女性の行為を優しく受け容れました。「わたしに良いことをしてくれたのだ」(6節)と。また、「この人はできるかぎりのことをした」(8節)と、お褒めにもなりました。さらに、あの行為は、キリストへの善い奉仕として不朽の価値があると祝福しました。「はっきり(アーメン!)言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(9節)。そうして、この2千年間ずっと、キリストがスポットライトをあてたあの女性の行為が、世界中で話題になって来たのです。渋沢教会の女性たちの会が、「ナルドの会」と名付けられたモチーフもそれです。最近では、3月に創設された「中会女性会ナルド献金」の命名の動機にも、あの女性の行為が想い起されたようです……。
あの香油は、非常に高価なもので、100万円を大きく超えるかも知れない貴重な香水だったのです。そして、それが「貧しい人々に施す」方が良かったのに……という批判を招いたのでした。でも、キリストがお示しになった愛からあの批判を聴きなおしてみれば、批判者たちは、目の前の一人が持っていた切実な心を理解出来ないでいたのです。そして、そういう人たちは、そのままでは社会福祉の良い担い手にはなれませんし、貧しい人々の友にはなれないのです。あの女性が、キリストに注ぎかけたナルドの香油は、あの人の将来への大切な備えだったのです。いつかやって来る結婚式、そういうかけがえのない時への蓄えだった……と見られています。「この人はできるかぎりのことをした」というキリストのお言葉は、そういうずっしりと重い事柄に光をあてたものだったのです。
6節をある英語の聖書で読むと、イエスさまは、「彼女は、わたしのために、美しいこと(beautiful thing)をした」と言われたのです。あの女性は、人々から批判されましたが、でもそれは、存在をかけた神さまへの信実な行為だったのです。あの人は、その時もっていた全てを差し出し、感謝や献身の想いを表したのです。キリストはそういう美しいものを喜び、慈しむ方なのです。キリストが私どもに求めているのは、非の打ちどころがない人生ではありません。破れがあっても━━どこに破れのない人生があるでしょうか。人間はみな罪深く、的外れで、破れを繕うのに苦労しています。けれども、キリストは、それでも良いと言ってくださいます。そして、破れを重ねても、天から祝福されるような人間らしい心を持ちなさい……と慰めてくださいます。キリストが私どもに祝福してくださるのは、あの女性に見出されたような美しいものが息づく人生なのです。
キリストは、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」(8節)と言われました。あの女性は、預言者的な感性を持つ人間だったのでしょうか。これは、キリストの愛が溢れ出た言葉なのです。埋葬する際、その遺体に香油を塗るのが当時の習慣でした。キリストは、あの女性の香油注ぎを、限りなく優しく受け容れ、それは無駄使いなどではなく、死へ赴く者への手厚い思いやりだった……と意味づけてくださったのです。そうして、あの女性の破れのある行為を、もうこれ以上はないというような尊い意味を持つものにされたのでした。人間の破れを懇ろに繕って余りあるキリストのご配慮……。
皆さん、このようなキリストの愛は、あの女性にだけ祝福されたのではなく、私どもにも祝福されて来たことを信じましょう。そして、私どもは、これまでの人生の破れを思い、それに打ちのめされる悲惨とは決別し、ひたすらキリストにあって美しいものを祈り求める信仰生活を進めましょう。キリストは、十字架と復活のご慈愛をもって、私どもの人生を豊かに意味づけてくださいます。人生に吹いて来る強風や、激しく打ちつける雨で破れたとしても、どうかご慈愛に支えていただきながら、美しい心を持ち続ける皆さんでありますように。