解き放たれて生きる
2023年11月26日
エレミヤ23:1~6、ヨハネの黙示録1:4~8
関 伸子牧師
先ほどヨハネの黙示録第1章4節から8節をお読みしました。ヨハネ黙示録は第3章10節に「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから、地上に住む人々を試すため全世界に迫りくる試練の時に、私もあなたを守ろう」とあることから考え、90年代の後半にエフェソで書かれたと思われます。この頃、ドミティアヌス帝による教会迫害が激化し、殉教する者も現れ、しかも教会内にも異端的な思想が起こった。このようなときに、キリストの再臨の接近を説き、励まそうとした書です。
「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」という神の呼び名が記されています。現在と過去と将来、私たちの常識では、過去と現在と将来と言うことの方が自然かもしれませんけれども、まず語られるのは、今ここにおいて神が生きておられる、ということです。この神が、私たちのいのちの始めを造ってくださって祝福の中に置いてくださった。神はまた今来たりつつある神です。もう少し別の言葉で言うと、そういう〈神の時〉によって、私たちの歴史、私たちの人生のひとこまひとこまの時が包み込まれていることを知る。しかもそれは祝福の神のみ手の中の時だというのです。
教会生活を始めると、だんだん聖書の言葉が身についてきます。学びを重ねていくときに大切なこととして覚えておきたいことは、聖書の最初の言葉と終わりの言葉が何であるかということです。それは、知識の類ではなく私たちの信仰に関わる大切なことです。創世記第1章1節は「初めに神は天と地を創造された」。最後の言葉はヨハネの黙示録第22章20節「これらのことを証しする方が言われる。『然り、私はすぐに来る。』」主を待つ祈りです。しかしヨハネの黙示録は、この祈りに続けて、もうひとこと、きちんと付け加えています。「主イエスの恵みがあなたがたすべての者と共にあるように。」今ここにおける祝福です。創世記第1章最後の言葉は「神は、作ったすべてのものをご覧になった。それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第6の日である」。神が御覧になった。呪われるべきものはひとつもない。祝福をもってお造りになってくださった。その祝福は、今既に、常に私たちと共にある。ここに日々、私たちが御言葉から力をいただくことが書かれています。
11月13日から16日、「沖縄・平和スタディーツアー」に参加して4日間、参加者15名と共に過ごしました。辺野古のグラスボートに乗って美しい海と珊瑚を見て感動しつつ、私たちは基地を作るために埋め立て工事が進んでいるところには近寄りませんでしたが、近づくと、と警備隊が「それ以上近づかないように」と声をかけるそうです。スタンディングやゴスペルで抗議活動を続ける人たちにも出会い、神の愛をもって平和を実現させるための抗議活動はいかにしてなされるのか、そのことを考えつつ活動する金井創(はじめ)牧師や島しづ子牧師の話を聞き、この方たちが祝福の神のみ手の中に守られ、出会う人びとと共に平和を創り出す働きをされていることを実感しました。
神に関して、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。『私はアルファであり、オメガである』」(8節)、とありますが、これは、現在・過去・未来に歴史を貫いて存在する神を表現しています。
このような言葉を今、私たちが住むこの世界の中で聞くことに大変励まされます。なぜなら、私たちは迫害の厳しさとは違っても、厳しい時代に生きているからです。主日の礼拝毎に神の言葉に聴き、日々、罪を赦されて救われた者として生きています。私たちは教会で「救われる」ということをよく聞きます。また、「聞いて、信じる」ということが語られます。神がこの世界を創造され、すべての生き物をお創りになり、治めておられることを聞いて信じることは、外がわからの働きかけ、聖霊の働きが、救いのために大切なこととなります。
今日の聖書箇所にその「聞いて信じる」べきことが5節後半から7節に記されています。迫害が激化する中で、ヨハネは「聞いて、信じた」真理にしっかりとどまり、忍耐と真実のうちに生きるように求めています。
「今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者である神、主がこう言われる。『私はアルファであり、オメガである』」(8節)。黙示録には、これらの言葉がよく出てきます。アルファというのはアルファベットの始めであり、オメガは終わりです。ここで、神が自らが何者であるかの宣言を、著者が預言者として取り次ぐ形が取られています。神が「全能者」であるとされています。全能者とは、元来「全世界・万物を支配するもの」という意味です。「万物の支配者」という意味合いがあります。
神から、そして聖霊、イエス・キリストと続いて「恵みと平和」が祈られる。私たちの神へのさんびも、神への礼拝も、この世々限りなくおられる神に向かってなされます。やがてこられる平和の主を待ち望みつつ、アルファでありオメガである神を仰ぎつつ、平和の主イエス・キリストのご降誕を待ち望む時を待ちつつ、主日ごとに礼拝をささげるおひとりおひとりに祝福が豊かにありますように。