恵みの事実
2023年12月31日 詩編145:10~21、ガラテヤの信徒への手紙13:23~29 関 伸子牧師 2023年最後の日、みなさんと共に礼拝をささげることのできる恵みに感謝します。みなさんにとってこの一年はどのような年だったでしょうか。教会として振り返ると、悲しいことが重なった年でした。しかし、いつも聖書の御言葉を与えられている私たちは、深い悲しみの中にあっても、互いに祈り合い、御言葉から励ましや力をいただく恵みの事実がここに、確かにあった、と言えるので[…続きを読む]
神のみわざが見えてくる
2023年12月24日 ゼカリヤ42:14~17、ルカ1:57~66 関 伸子牧師 待降節第4主日に私たちが一緒に読む聖書箇所はルカによる福音書第1章57節から66節の洗礼者ヨハネの誕生の物語です。最初にこうあります。「さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ」(57節)。「満ちて」というのは正確に訳すと「満たされて」となります。この表現は、内容上の主語が神である神的受動態であり、神が月日という「時(クロノス)」を満たして、エリサベトのお産を実現する[…続きを読む]
私たちの立つべきところ
2023年12月17日 マラキ書3:19~24、ヨハネによる福音書1:19~34 関 伸子牧師 洗礼者ヨハネはヨルダン川の東、ベタニヤで洗礼を授けていました。彼の働きは、ユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民とがやって来るほど劇的な様相を呈していました。この運動がエルサレムの当局者に見過ごされるはずはありません。 「さて、ヨハネの証しはこうである」(ヨハネ1:19)。ここでイスラエルの民はユダヤ人たちと呼ばれています。そのユダヤ人たちは、しばしばイエス[…続きを読む]
どうしたら信じられるか
2023年12月10日 列王記上22:6~17、ヨハネによる福音書15:41~7 関 伸子牧師 主イエスは「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。それなのに、あなたがたは、命を得るために私のもとに来ようとしない」(5:39~40)と、今日の聖書箇所の直前のところでいわれます。旧約聖書は命について語っているのに、人々はそれを与えるために人間となられた御子イエスを認めようとしない。真実の言葉である[…続きを読む]
光の射す途へ
2023年12月3日 イザヤ書52:1~10、ヨハネによる福音書7:25~31 関 伸子牧師 待降節第1主日の礼拝をささげています。教会暦では待降節から新しい年が始まります。日本の状況において、待降節は、「待つことの出来ない」時期でもあります。教会にとっては、クリスマスに向けての準備の時ですけれども、街中はすでにクリスマスを迎えたかのようにクリスマスが祝われていますが、私たちはイエス・キリストの到来に向けての準備する時でありたいと思います。 クリスマス[…続きを読む]