死に対する勝利
2024年9月22日 イザヤ25:7~10、コリント一15:50~58 関 伸子牧師 今朝は、先に天に召された方々を覚えて召天者記念礼拝をささげます。週報に召天者名簿がはさまれています。その名簿にある方たちの多くは、この礼拝堂で共に礼拝をささげられた、私たちが親しくしていた方たち、その愛する家族でした。 今年は3月7日にOMさんが天に召され、13日に葬礼拝を行いました。90歳の地上の命でしたが、若い日に洗礼を受け、生涯、主の業に励んだ方でした。阪神・淡路[…続きを読む]
キリストの愛に生かされる
2024年9月15日 歴代誌下7:11~16、エフェソ3:14~21 関 伸子牧師 聖書の中の諸文書を書いている人は、みな、祈りながら書いていたであろうと思います。これは自分のことではなく、神のことだからです。人間に向かって話ながら、神にも向かっている、ということになると思います。今日ご一緒に読むエフェソの信徒への手紙第3章は、ひとつの区切りとなります。そこで、見事な祈り(14~19節)と頌栄(20~21節)によって結ばれるのです。 「このようなわけで[…続きを読む]
立派に生きるとは
2024年9月8日 エレミヤ50:4~7、ペトロの手紙一2:11~17 関 伸子牧師 今年のわたしたちの教会の標語聖句、「(主イエスの言葉)私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました」(ヨハネ17:18)とあるように、教会は和解を世に伝える務めのために、世から召し出され、世に遣わされます。教会とキリスト者は世の只中にある。しかしそのかぎり、世に憎まれ、世の誘惑にさらされることも避けられません。だからキリスト者は「世に倣う」ことがあってはな[…続きを読む]
いのちの真理
2024年9月1日 エレミヤ書28:1~17、ヨハネの手紙一5:6~12 関 伸子牧師 イエス・キリストは人びとを、とりわけ、悩み苦しむ者を愛し、最も小さい者たちを御自分の周りに置かれました。しかし、その結果は、十字架につけられるという敗北であったようにも見えます。けれども、十字架は終わりではありません。復活が続きます。復活は、この人類を愛しぬかれた神の子が、最後に勝利することを意味しています。ここで「世に勝つ」と言っているのは、「世俗」の意味です。この[…続きを読む]