カンバーランド長老キリスト教会

東小金井教会説教

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  • ご計画に従って

    2020年1月3日
    列王記上3:5,7~12、ローマの信徒への手紙8:26~30
    関 伸子牧師

    ローマの信徒への手紙第8章28節に、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています」と記されています。このみ言葉は、今年、わたしたちが標語聖句としてあげているものであり、わたしたちに大いなる希望を与えるものです。簡単にいえば、信仰を持っている者には、どんなことでも益となるように働いてくれるものである、ということでしょう。何事もうまくいく、と言ってしまっては、俗な話になってしまうと言われるかも知れません。しかし、多くの人々がこの聖句に希望をつないで来たのは、正直に言えば、その点ではなかったかと思われます。しかし、そういう願いには、やはり大きな危険がひそんでいるものです。あの時は辛くてどうしてそのようなことが起こるのか理解に苦しんだが、今になってみると、こういう意味があって恵みであることが分かったというような解釈をすることは、悪いことではないけれど、それが自分の身勝手な説明になることもある。

     この御言葉は、少なくとも、人間が考えて都合がいいということを神が成就されるのではなく、神の御心の変わらないこと、神には揺らぐことのないご計画であって、それをどこまでも変えることなく貫いてゆかれるということがこの句の中心になっている信仰です。

    26節冒頭の「霊もまた同じように」は何を受けているのか。前段の二つのうめきでしょう。被造物全体がうめき、わたしたちもうめいている。そして「また」聖霊もうめく。同じありさまでうめいている。けれどもそのうめきは、被造物や私たちのうめきと同じではない。聖霊は虚無に服してはいないし、ただ待ち望むのでもない。被造物とわたしたちとを完成に至らせる。そのことを、何よりも「うめきをもって」してくださるのである。聖霊はわたしたちの弱さを助けてくれる。「助ける」と訳された語は、もともとは「心にかける」という意味の語です。この箇所以外では、ルカによる福音書第10章40節で用いられている。「スュンアンティランバノマイ」は語の成り立ちからすると、相手と共に(スュン)、また相手に代わって(アンティ)、重荷を引き受ける(ランバノー)ことである。そのような仕方で助けるのである。

     キリストの執り成しと聖霊の執り成しには違いもある。キリストはまことに人となられ、わたしたちと共にいてくださり、わたしたちに代わって、わたしたちの罪を担ってくださった。本当ならわたしたちこそ「この杯をわたしから取りのけてください」と必死になって祈らなければならないはずなのに、わたしたちはわずか一時も目を覚ましていられなかった。キリストがわたしたちに代わって目を覚まして祈り、うめき、叫んでくださった。死と復活こそ、スュンアンティランバノマイである。今、キリストは神の右におられて、わたしたちのために執り成してくださる。そして、今は聖霊がわたしたちと共にいてくださり、地上のキリストのように祈り、うめき、叫んでいてくださるのである。

     先ほど、旧約聖書から列王記上第3章の御言葉を読みました。神に「何事でも願うがよい」と促されたソロモンは、まず父親に示された「慈しみの過去」に触れます。次に「わたしは取るに足りない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません」という課題を抱えた現在を語ります。そして最後に開かれるべき未来を求めて、「この僕に聞き分ける心をお与えください」と祈ります。このように祈ることができるのは、常に神と向き合って生きているからです。ソロモンが「聞き分ける心」を求めたところに彼の知恵深さがあります。

     救いの計画は「前もって知る」という神の業で始まります(29節)。「前もって知る」とは、神は前もって計画しているので、ある人々を選びだし、この世において御子イエスと同じような神の子として選び、呼び出しているということです。一人ひとりが前もって知られており、神の計画に含まれています。前もって知る神の働きで始まる救いの計画は、私たちを「御子の姿に似たものにする」ことによって終結します。救いの歴史の初めには、呼び出す神が立ち、終わりには私たちを御子に似た者に変える神が立ちます。

     神のご計画というのは、何をいうのでしょう。それは、一言でいえば、救いのご計画であると言っていいでしょう。まずはっきりさせておかなければならないことは、神のご計画があるということです。それは、そのご計画の中に入れられた者にとっては宿命的なことではなくて、それだからこそ、安心していることができるのです。変わることのない正しさと、揺らぐことのない恵みによって貫かれたものです。神が人間のために良し、と考えてくださる益とは、このことを言うのです。万事がそのために動かされることも、神がそれを成就してくださることも、みなそこに基本となることがあることを知る時に、正しく理解され、また、大いなる感謝を持って受けることができるのです。このような神のご計画に従って、目に見えないコロナに翻弄されることなく、揺らぐことのない恵みに貫かれてこの年共に歩んで行きたいと願います。お祈りいたします。