備えている
2021年10月17日 イザヤ書33:17~22、マタイ25:1~13 関 伸子牧師 パレスチナでの婚宴は、多くの人が参加できるように、夜始まります。婚礼が夜始まるということは、私たちの信仰にとって大きなことを暗示しています。「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている」(マタイ25:1)。たとえ時代は闇であっても、まわりが暗い環境であっても、いや、夜であるゆえに、今あかりを灯していることが大切です。 真夜中に[…続きを読む]
神からくる愛によって
2021年10月10日 申命記4:1~8、ローマの信徒への手紙13:1~10 関 伸子牧師 国家権力をどのように見ていくかということは、非常に難しい問題である。パウロは、「人は皆、上に立つ権力に従うべきです。神によらない権力はなく、今ある権力はすべて神によって立てられたものだからです」(13:1)と規定している。 この解釈の鍵は、第12章21節の「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」という言葉にあると思います。これが、国家権力や上に立つ権威に[…続きを読む]
信仰によって生きる
2021年10月3日 出エジプト6:2~13、ヘブライ11:17~22 関 伸子牧師 世界聖餐日のこの日、世界の諸教会の多様性を神からの祝福として受け入れ、私たちが一致してあなたの福音に生きる者でありたいと思います。その基となるのは「信仰によって」生きることです。ヘブライ人への手紙第11章3節以降に「信仰によって」という言葉が繰り返し使われています。 ヘブライ人への手紙第11章3節以降、「信仰によって」という言葉が何度も繰り返され、17節から22節に、[…続きを読む]
主イエスを見つめながら
2021年9月26日 エレミヤ書31:10~14、ヘブライ12:1~3 関 伸子牧師 昨年、ある方の葬礼拝の準備をしながら、トーマス・ロングという人が書いたキリスト者の死と葬儀についての本、『歌いつつ聖徒らと共に』を大変興味深く読みました。そこに次のことが記されていました。「死において私たちは、その体を「ここ」から「あそこ」へと動かされる必要のもとに置かれます。しかし、キリスト者の人生において「ここ」と「あそこ」がどこなのか、福音の物語なのである。それに[…続きを読む]
神に愛されている者として
2021年9月19日 詩編119:33~40、エフェソ5:1~5 関 伸子牧師 パウロがエフェソとその近辺の諸教会に宛てて獄中から書いたエフェソの信徒への手紙の第5章1節は、「ですから」と、一つの区切りを示しながら、「神に倣う者となり、愛の内に歩みなさい」と記す。「神に倣う」いう表現を聞いてみなさんはどう思われますか。私は特異な感じを受けます。新約聖書ではここにしか出てきません。 「倣う」という言葉は、「まねる」、つまりイミテーション(模造品)ですけれ[…続きを読む]