いつもあなたがたと共に
2021年7月11日 ヨシュア記1:5~9、マタイ28:11~20 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 小説でも、映画でも、音楽でも「最後」は重要だ。最後をどう締めくくるかによって作品全体の良し悪しが決まると言っても過言ではない。マタイは自らの福音書を閉じるにあたって最後に大切なメッセージを込めたに違いない。 「恐れることはない。行って、きょうだいたちにガリラヤへ行くように告げなさい。そこで私に会えるだろう」(10節)。マグダラのマリアは復活の主に言われた[…続きを読む]
神の贈りもの
2021年7月4日 詩編143:1~6、マタイ7:7~12 関 伸子牧師 主イエスは「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる」(7節)と教えられました。これは神の国に入るためには、神の国を積極的に求めるべきだということである。主イエスは福音を語られましたけれども、それを決して聞く者に押し付けはなさりませんでした。どこまでも私たちの自由意志による決断に委ねられたのである。 「誰でも、求める者[…続きを読む]
ささげる教会
2021年6月27日 イザヤ書49:14~21、使徒言行録4:32~37 関 伸子牧師 「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと思う者はなく、すべてを共有していた」(使徒4:32)。この御言葉を聞くと、私たちは、少し身構えてしまうかもしれません。今年から祈祷会で使徒言行録を読んでいます。先日、祈祷会でこの箇所を読んだ後、出席された方たちの感想を聞いたら、ある方は「素晴らしいこと。私も初代教会に生きたかった」と言い、多くの方[…続きを読む]
時を知る知識
2021年6月20日 イザヤ書2:1~5、ローマの信徒への手紙13:11~14 関 伸子牧師 使徒パウロはローマの信徒への手紙第12章1節から始まる勧告で、まず「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と勧めます。キリスト者の生活を支えるのはこのような礼拝だからです。そして神の愛を受けた者の務めは「互いに愛し合う」ことであると教えます。今日の箇所では、そのように生きることのできる理由を述べます。 パウロが勧める行いに励むことができる[…続きを読む]
まことのぶどうの木
2021年6月13日 イザヤ書5:1~7、ヨハネによる福音書15:1~10 濵崎 孝牧師 キリスト・イエスさまは、ご自身を「ぶどうの木」にたとえて福音を語られましたね。主イエスさまはぶどうの木、私どもキリスト教会の一人一人はその枝だとお教えになったのです。でもどうしてイエスさまは、「私はまことのぶどうの木」(1節)と言われたのでしょうか。旧約聖書のメッセージにふれて福音を語ったからです。 イザヤ書や旧約聖書には、言わば『いつわりのぶどうの木』のこと[…続きを読む]