真理の声に向かって
2021年12月12日 イザヤ書40:1~11、マルコによる福音書1:1~11 関 伸子牧師 「神の子イエス・キリストの福音の初め」。マルコによる福音書はこの書き出しで「私は使者を遣わします。彼は私の前に道を整える」というマラキ書の第3章1節に出てくる言葉「わたしは使いをあなたの前に遣わし」と、イスラエルの民の歴史を語り始める出エジプト記第23章20節の複合引用とイザヤ書第40章3節を用います。この複合引用には三人の人物が登場します。これが誰であるかを文[…続きを読む]
神の言葉を聞こう
2021年12月5日 申命記4:1~8、マルコによる福音書7:1~13 関 伸子牧師 今日ご一緒に読む第7章の論争において主イエスは鋭く、また適切な表現をもって、人の言い伝えと神の戒めを解き明かしながら、神の真理と人間の真理について教えます。ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちがエルサレムから派遣されて来たところからこの物語は始まります。「エルサレムから来た」という言葉は、形式的で、実際的な罪には無頓着で、それでいて、些細なことを取り調べる検察官を象徴[…続きを読む]
目を覚ましていなさい
2021年11月28日 「目を覚ましていなさい」イザヤ51:4~11、マルコ13:24~32 関 伸子牧師 マルコ福音書第13章は「小黙示録」と言われ、主イエスが終末について語られたことが時間的経過に従って、淡々とその様子を描写しています。まず、「太陽は暗くなり 月は光を放たず 星は天から落ち 天の諸力は揺り動かされる」、というように天変地異が描かれます。 次に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(26節)ことが語られます。主イエスが、殊[…続きを読む]
ボーダーラインで出会う救い主
2021年10月3日 創世記28:10から19a、ルカ17:11-19 あさひ教会代務者 荒瀬牧彦牧師 エルサレムへと上って行く途中、イエス様はサマリアとガリラヤの「間」を通っておられました。この「間」は小金井と三鷹の市境とは異なり、反目と憎しみの歴史を抱えた、深い断絶のボーダーでした。ラインというよりはボーダーというべき境界領域であり、直接衝突を避けるための緩衝地帯でした。そこには誰がいるのか?社会から隅に追いやられた人たちです。力のある人たちは中心に[…続きを読む]
一文無しのようですべてを持っている
2021年11月14日 詩編118:10~18、コリント二6:1~10 関 伸子牧師 「今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です」(コリント二6:2b)。パウロが語ったこの御言葉は私たちの心を高く挙げる希望の言葉であると思います。パウロはどのような現実の中でこの言葉を語ったのでしょう。 パウロはすでに、福音の中心的私信を第5章14節~19節で語りました。すなわち、キリストの死と復活の出来事がすべての人に対して起こっており、信じるすべての者はキリストの愛と[…続きを読む]