誰を待つのか
2024年12月15日 士師記13:2~14、マタイによる福音書11:1~6 関 伸子牧師 主イエスはわたしたちの救いのために来てくださる。何の力もなく、幼子として飼い葉桶に生まれてくださるお方です。救いは力によって実現するのではないことをわたしたちに教えてくれる出来事だと思います。 主の御使いが「この子は、イスラエルをペリシテ人の手から救い始めるだろう」(士師記13:5)と預言したのは、旧約聖書に登場する英雄のひとりサムソンのことでした。ペリシテ人に圧[…続きを読む]
民をあがなう神の愛
2024年12月8日 イザヤ書59:12~20、マタイ13:53~58 関 伸子牧師 主イエスは、たとえ話を語り終えるとガリラヤ湖畔を去り、郷里ナザレに行きました。イエスが会堂で教えると、人々はそのすばらしさに驚きました。聖書の中には、「驚く」と訳されているギリシア語は、いくつかあります。しかし、ここに用いられているギリシア語、これはそう頻繁には使われないものです。「本当にびっくりする」。そういう意味の言葉です。 あっけにとられて、これこれのことを言った[…続きを読む]
主の光の中を歩もう
2024年12月1日 イザヤ書2:1~5、マタイ24:36~44 関 伸子牧師 待降節第1主日に、キリストの再臨を述べる箇所を読みました。キリストのご降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。マタイによる福音書第24章36節以下では、「目覚め、わきまえ、備えて」生きるべき存在だと教えています。 ノアの時代の人々は、洪水が襲ってくることにも、それがいつ起こるのかも気づくことができませんでした。洪水は人間には計り知れない神の思いに[…続きを読む]
神の言葉は生きている
2024年11月24日 ミカ書2:12~13、ヨハネの黙示録19:11~16 関 伸子牧師 先ほどお読みしました第19章11節以下は、「私は見た」(11,17、19節)という言葉によって三つの幻に区分されています。今日は第一の幻のところを読みましたが、ここに、天が開かれる光景が語られ、圧倒的な光の世界から白馬にまたがった騎手が登場します。白馬の騎士の目はすべてのものを透徹し、めらめら燃える火のように輝き、頭にはすべてのものを統治、支配する多くの王冠をいた[…続きを読む]
立ち上がろう! 笑いの中に
2024年11月17日 イザヤ61:1~4、ルカ6:17~21 潮田健治_牧師(隠退牧師) 「貧しい人々は、幸いである。」 イエス・キリストは、私たちが普通、不幸だろうと思うこと、しかしそれは「幸いである」と言うのです。見方が、逆になっています。見方が変わってしまう、というのです。 見方が変わってしまうということで、初めに、私がワクワク感を持った経験をお話します。私がいつも使っている相鉄線というローカル鉄道が、JR直通運転になりました。いつものホ[…続きを読む]