思いきり泣ける場所がここに
2024年7月28日 詩編56:9~10、ルカによる福音書17:36~50 関 伸子牧師 東小金井教会は1964年7月26日、中町の借家で第1回礼拝(出席11名)をささげてから60年経ちました。2020年以降、コロナ禍を経た今も、欠かさず礼拝がささげられてきたことを感謝しつつ、今日は宣教60周年記念礼拝をささげています。 ルカによる福音書第7章の最初に百人隊長の僕のいやしの物語が記されており、次にナインの町におけるやもめの一人息子のよみがえりという主イエ[…続きを読む]
永遠の命のかて
2024年7月21日 列王記上17:8~16、ローマの信徒への手紙14:13~23 関 伸子牧師 ローマの信徒への手紙第14章で、パウロはこれまで具体的に、食べてもよい食べ物のことや重んじる日のことで裁いてはならないと述べ、13節ではより一般的に何事においても「もう互いに裁き合うのはやめましょう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、きょうだいの前に置かないように決心しなさい」と語り始めます。具体的には肉食を可とする者たちと、ユダヤ人の律法を厳[…続きを読む]
命への移行
2024年7月7日 ミカ書7:14~20、ヨハネによる福音書5:19~30 関 伸子牧師 今日のヨハネによる福音書第5章19節以降の話は、直前のベトザタの池での病人の癒しの場面から続いています。「よくよく言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もすることができない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする」(19節)。こう言われた主イエスの御心を知ろうとするには、幼子を愛してさまざまな動作をしてみせる父親を想像するとよいでしょう。父[…続きを読む]
あなたの信仰があなたを救った
2024年6月30日 詩編30:1~6、マルコによる福音書5:21~43 饒平名 丈(よへな たけし)伝道師(泉伝道教会) 本日の箇所は、主イエスがゲラサ人の地に行かれ、汚れた霊に取りつかれた男を癒された後、再びガリラヤ地方に戻られたところから始まっています。すると会堂長のヤイロが主イエスの足元にひれ伏し、娘が死にそうなので来て癒してほしいと願いでました。主イエスはその願いを聞き、ヤイロの家へと向かう途中、出血の止まらない病気の女性と出会います。この女性[…続きを読む]
神のみわざを見る
2024年6月23日 ヨナ書4章1~11節、エフェソの信徒への手紙2章11~22節 関 伸子牧師 新約時代のエフェソは豊かな商業都市であると共に、異教祭儀の中心地でもありました。異邦人であるエフェソの信徒たちは「以前は遠く離れていた」が、キリストと出会った今は「近い者」となりました。なぜなら、キリストは「規則と戒律づくめの律法」を廃棄し、ユダヤ人と異邦人の間にある敵意を十字架によって滅ぼし神との和解をもたらしたからです。 「だから、心に留めておきなさい[…続きを読む]