惑わされることなく生きる
2020年11月8日 創世記13:1~18、ガラテヤ3:1~14 関 伸子牧師 ガラテヤの信徒への手紙は第3章のはじめに「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか」と書きます。この呼びかけは、どうにもやり切れなくなった時に突然、叫びだしたということになるのではないでしょうか。第2章のおわりにおいてパウロは、恵みというものは分かり難いものであると言いました。そこまでにパウロは、自分の生涯の経路、すなわち自分がどのように恵みを受け[…続きを読む]
ただひとりの神によって
2020年11月1日 イザヤ書44:6~17、ローマ3:21~31 関 伸子牧師 召されて使徒となったパウロは、ローマの信徒への手紙の第1章18節から第3章20節において、律法の下にある人間の絶望的な状態を明らかにしました。人類の罪を指摘しています。異邦人は被造物を通して、またユダヤ人は律法を通して神を知っていますが、結局は神としてあがめずに、罪の状況に陥っていたからです。こういう律法の世界を語りながら、ローマの信徒への手紙の大事な頂点、分水嶺と言える第[…続きを読む]
恐れない自由
2020年10月25日 箴言8:1、22~31、マタイ10:26~33 関 伸子牧師 今日は降誕前第9主日、聖書はマタイによる福音書に入ります。この福音書の第10章は弟子たちに向けられています。主イエスは弟子たちを宣教のために派遣し、「人々を恐れてはならない。覆われているもので現わされないものはない」(26節)と語られます。 26節は、「それだから」という、新共同訳では訳出されていない句によって、24節から25節と関連づけがなされ、「それだから人々を恐[…続きを読む]
神の御名を知る
2020年10月18日 エレミヤ書29:1、4~14、ヨハネ17:13~21 関 伸子牧師 弟子たちに対する告別の説教を終えた主イエスは、目を上げ、天を仰いで父なる神に、「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えてください」(1節)と祈り始めます。神の宮の祭司が人々のためとりなし祈るように、イエスさまもご自分が十字架で死んだ後、残されることになる弟子たちを案じて、とりなし祈ったのです。古来、教会ではこれを『大祭[…続きを読む]
永遠の住み家
2020年10月11日 ダニエル書12:1~4、ヨハネ11:1~16 関 伸子牧師 人生を考えるとき、避けて通れない最大の課題が死です。「人は死んだらおしまい」という考えを子どもの頃、親から植えつけられることがあります。しかし、そのような人生観では決して説得されない人もあります。ヨハネによる福音書第11章は、そういう人々に語りかけます。 1節に登場するベタニアの家族、マリアとその姉妹マルタは、イエスの弟子であり、親しい友である。ラザロがマリアとマルタの[…続きを読む]