イエスの焼き印を身に受けて
2019年7月14日 イザヤ書66:10~14、ガラテヤ6:11~18 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(17節)。パウロは手紙を閉じるにあたって、自分が何者であるのかを改めてガラテヤの人々に告げた。焼き印は英語では「ブランド」。その印によってどの店のブランドがわかるように、パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」のだ。パウロは、わたしはイエスのものだ。もっといえばわたしはイエスの奴隷だ、と告白している[…続きを読む]
み翼の陰に
2019年6月16日 詩編17:1~15、マタイによる福音書23:37~39 濱崎 孝牧師 詩編17編の「あなたの翼」、これは主ヤーウェの翼、口語訳聖書では「みつばさ」でした。詩の表題は、「祈り。ダビデの詩。」(1節)。信仰の詩人ダビデは、「あなた(主なる神)に逆らう者がわたしを虐げ/貪欲な敵がわたしを包囲しています」(9節)という苦境の中から、「瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください」(8節)と祈り求めたのです。14節には、「御もとに隠[…続きを読む]
子どもの声が聞こえるか
2019年5月19日 詩編8:2~3、マタイによる福音書21:12~17 荒瀬 牧彦牧師 「宮清め」と呼ばれてきた箇所だが、初めて読んだ方は、「宮清め」ではなく「大暴れ」と思われたのではないだろうか。神殿の境内で、いつものように商売をしていた人たちを追い出して、その人たちの台や椅子をひっくり返した。なんでこんなことをされたのか。イエス様は、大暴れの後にこう言われた。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている[…続きを読む]
主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も救われます。
2019年4月28日 ヨシュア記24章14節〜15節 使徒言行録16章25節〜34節 石塚 惠司牧師 1. 家族の救い:家族の救い、これは私たちみんなが願っていることだと思う。実は切実な私の祈りの課題でもある。妹家族の様子を聞いて、この箇所を読み返し、自分に語ってくるみ言葉に心を新たにした。 2. 「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 牢の看守が、投獄されていたパウロとシラスの二人に語った言葉、それが「先生方、救われるためにはどうすべき[…続きを読む]
ドンド・クライ
列王記上17:23~28、ルカによる福音書7:11~17 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「もう泣くなくともよい」(13節)。イエス様は一人息子を失ったやめもに向かって言われた。英語の聖書では“Don’t cry”「泣くな」である。「泣き続けるな」というのが原語のニュアンスのようだ。誰が一人息子の死を経験している母親に「泣くな」と言えるだろうか。 先日、のぞみ教会では8歳の少年の葬儀を執り行った。その子のことも、母親のことも知っていた。棺に抱きつき、我[…続きを読む]