子どもの声が聞こえるか
2019年5月19日 詩編8:2~3、マタイによる福音書21:12~17 荒瀬 牧彦牧師 「宮清め」と呼ばれてきた箇所だが、初めて読んだ方は、「宮清め」ではなく「大暴れ」と思われたのではないだろうか。神殿の境内で、いつものように商売をしていた人たちを追い出して、その人たちの台や椅子をひっくり返した。なんでこんなことをされたのか。イエス様は、大暴れの後にこう言われた。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている[…続きを読む]
主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も救われます。
2019年4月28日 ヨシュア記24章14節〜15節 使徒言行録16章25節〜34節 石塚 惠司牧師 1. 家族の救い:家族の救い、これは私たちみんなが願っていることだと思う。実は切実な私の祈りの課題でもある。妹家族の様子を聞いて、この箇所を読み返し、自分に語ってくるみ言葉に心を新たにした。 2. 「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 牢の看守が、投獄されていたパウロとシラスの二人に語った言葉、それが「先生方、救われるためにはどうすべき[…続きを読む]
ドンド・クライ
列王記上17:23~28、ルカによる福音書7:11~17 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「もう泣くなくともよい」(13節)。イエス様は一人息子を失ったやめもに向かって言われた。英語の聖書では“Don’t cry”「泣くな」である。「泣き続けるな」というのが原語のニュアンスのようだ。誰が一人息子の死を経験している母親に「泣くな」と言えるだろうか。 先日、のぞみ教会では8歳の少年の葬儀を執り行った。その子のことも、母親のことも知っていた。棺に抱きつき、我[…続きを読む]
恐れることはない
2018年11月18日 イザヤ書41章8節~16節、ルカ福音書5章1節~11節 荒瀬 正彦牧師(日本基督教団隠退牧師) 多くの人は貧しかろうと金持ちだろうと、共通した一つの飢え渇き、一つの貧しさを持っている。「何のために自分は生きているのか」。自分の存在に深い問いかけを向けるとき、私たちは自分が「生甲斐」に貧しく、「生きる目的」に飢え渇いていることに気づかされる。多くの場合、人は安直に目先の答えを求め、一本のワラを掴んで安心してしまう。 シモン・ペ[…続きを読む]
恵み深い主に感謝せよ
2018年9月30日 詩編107:1~9、23~32、ルカ8:22~25 国立のぞみ教会 唐澤健太 牧師 「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と/主に贖われた人々は唱えよ」(1−2節)。「共同の働き」を展開してきた東京三教会が初めて合同主日礼拝を実施するのは、「主なる神をほめたたえる」ために他ならない。集う者たち一人一人に固有の「人生の旅路」がある。その旅路の最先端が「今ここで」交わっているのだ。これは神の不思議な御業に他ならない。私たちが共に集[…続きを読む]