恵みの中に踏み込む
2022年9月18日 列王記上21:1~16、ガラテヤの信徒への手紙1:1~10 関 伸子牧師 パウロは、ガラテヤの信徒への手紙のはじめに、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、私と共にいるきょうだい一同から、ガラテヤの諸教会へ」と、ほかの手紙とはちがった言い方で使徒である自分の紹介をしています。この言葉は私が神学生だった12年前、秋学期の礼拝において当時[…続きを読む]
愛し抜く
2022年9月11日 ホセア書11:1~9、マルコ12:28~34 関 伸子牧師 神は愛である、と聖書は書きます。ホセア書第11章9章に「私は神であり、人間ではない」(ホセア11:9)と記されています。これは神が人間的な情念を理解しつつ、人間の有限性を越える愛の徹底を述べています。神の愛は、義ゆえの怒りをも愛に変える。人間を赦し、人間を救いに導かれるのです。それゆえに、神の愛は人間にとって救いの恵みであり最高の贈り物となります。主イエスの御業と言葉は、神[…続きを読む]
神の言葉を聞くのは誰?
2022年9月4日 詩編40:2~12、使徒言行録13:44~52 関 伸子牧師 アンティオキアの会堂で、パウロは出エジプトから始め、イエスの復活にいたる神の救いの業を説き明かしました。パウロたちがここで説いたことは、「神の恵みの下に生き続けるように」という勧めでした。自分たちにではなく、むしろ、イエスに従うことであり、イエスを通して神の恵みのもとにいることです。「恵み(カリス)」とは、神が人に対して与える無償の行為のことであり、ここでは具体的に神が会堂[…続きを読む]
キリスト者として生きるとは
2022年8月28日 イザヤ52:13~53:6、ペトロ一 1:3~9 臼井 正人長老 ペトロの手紙一が書かれたのは60年代、キリスト教を最も激しく迫害したと言われているローマ皇帝ネロが統治していた時代です。ペトロは現在のトルコに寄留しているクリスチャンを励ますために、この書簡をローマから送っています。ローマ市内でも当然、激しい迫害があったことが想像できます。ペトロはガリラヤの漁師で本名をシモンと言います。ペトロは十二弟子の中のリーダーで、一番偉く信仰が[…続きを読む]
柔らかな心に生きる
2022年8月21日 詩編127:1~5、マルコによる福音書10:13~16 関 伸子牧師 主イエスに手を置いてもらいたいと、幼子たちが連れてこられました。しかし、イエスが疲れておられると推し量ってか、弟子たちはそれをたしなめました。それに対してイエスは非常に憤り、弟子たちを戒め、「だれでも幼子のおうに神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」と言われました。 このことを通して、なにか幼子を神格化するようなところがありますけれど[…続きを読む]