いつもあなたがたと共に
2021年7月11日 ヨシュア記1:5~9、マタイ28:11~20 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 小説でも、映画でも、音楽でも「最後」は重要だ。最後をどう締めくくるかによって作品全体の良し悪しが決まると言っても過言ではない。マタイは自らの福音書を閉じるにあたって最後に大切なメッセージを込めたに違いない。 「恐れることはない。行って、きょうだいたちにガリラヤへ行くように告げなさい。そこで私に会えるだろう」(10節)。マグダラのマリアは復活の主に言われた[…続きを読む]
何も持たない旅
2020年2月23日 列王記上17:1~7、ルカ9:1~6 国立のぞみ教会 唐澤健太 牧師 主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたり語られた派遣の言葉は驚くべきものだ。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)。外敵から身を守り、疲れた時の支えとなる杖も、旅先のあらゆる事態に備えて品々を入れる袋も旅の必需品だ。さらにパンも、金も持っていくなと主イエスは弟子たちに命じられた。 […続きを読む]
イエスの焼き印を身に受けて
2019年7月14日 イザヤ書66:10~14、ガラテヤ6:11~18 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(17節)。パウロは手紙を閉じるにあたって、自分が何者であるのかを改めてガラテヤの人々に告げた。焼き印は英語では「ブランド」。その印によってどの店のブランドがわかるように、パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」のだ。パウロは、わたしはイエスのものだ。もっといえばわたしはイエスの奴隷だ、と告白している[…続きを読む]
ドンド・クライ
列王記上17:23~28、ルカによる福音書7:11~17 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「もう泣くなくともよい」(13節)。イエス様は一人息子を失ったやめもに向かって言われた。英語の聖書では“Don’t cry”「泣くな」である。「泣き続けるな」というのが原語のニュアンスのようだ。誰が一人息子の死を経験している母親に「泣くな」と言えるだろうか。 先日、のぞみ教会では8歳の少年の葬儀を執り行った。その子のことも、母親のことも知っていた。棺に抱きつき、我[…続きを読む]
恵み深い主に感謝せよ
2018年9月30日 詩編107:1~9、23~32、ルカ8:22~25 国立のぞみ教会 唐澤健太 牧師 「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と/主に贖われた人々は唱えよ」(1−2節)。「共同の働き」を展開してきた東京三教会が初めて合同主日礼拝を実施するのは、「主なる神をほめたたえる」ために他ならない。集う者たち一人一人に固有の「人生の旅路」がある。その旅路の最先端が「今ここで」交わっているのだ。これは神の不思議な御業に他ならない。私たちが共に集[…続きを読む]