み言葉によって新しくされる
2025年9月7日 ハバクク3:17~19、マタイによる福音書13:24~43 関 伸子_牧師 「天の国は、良い種を畑に蒔いた人に似ている」(24節a)。直前で語られているように、ここでも天の国が種蒔きにたとえられています。今日の箇所を読むと、良い種をまくのは人の子イエス、畑は世界です。私たちが生きるこの世界はさまざまな問題に満ちていますが、イエス・キリストによって、良い種が蒔かれた良い世界なのです。前節までのたとえでは、種がまかれる土地の優劣に焦点が絞[…続きを読む]
主イエスの願い
2025年8月17日 ヨナ書43:1~5、マタイによる福音書19:35~38 関 伸子_牧師 主イエスがガリラヤ全土で人々の病をいやしたことは、山上での説教の箇所の前、マタイによる福音書第4章23節にも記録されていますが、今日の箇所では、イエスの活動を、「教え」「宣べ伝え」「治された」という三つの面からとらえています。イエスはこれらの伝道活動を通して、民衆の置かれている窮状を見て、深く憐れまれました。 「町や村を残らず回って」とあります。イエスの行動の[…続きを読む]
神のあわれみの前に立つ
2025年8月10日 ホセア書46:1~6、マタイによる福音書9:9~13 関 伸子_牧師 「イエスは、そこから進んで行き、マタイと言う人が収税所に座っているのを見て、『私に従いなさい』と言われた」(9節)。主イエスは、体の麻痺した人をいやした後、今度は、収税所にいる徴税人のマタイを見つけました。 マタイは名前からしてイスラエルの民の一員です。「収税所に座っているのを見て」、これは記憶すべき表現です。このマタイが働いているその場所で、主に見られているの[…続きを読む]
主の恵みの中へ
2025年8月3日 創世記21:9~21、マタイによる福音書8:1~13 関 伸子_牧師 マタイによる福音書第7章の終わりに、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者のようにお教えになったからである」(7: 8,29)とあります。新共同訳は「非常に驚いた」と訳しおり、仰天する、啞然とするとも訳せる言葉です。マタイによる福音書では、常にイエスの教えと結びついて用いられています。私たちの経験や[…続きを読む]
良い実を結ぶ
2025年7月27日 エレミヤ7:1~7、使徒言行録19:13~20 関 伸子_牧師 パウロのエフェソ伝道は、説教とともに「数々の目覚ましい奇跡」(11節)をも伴いました。ところがここに、13節には「ユダヤ人」の「祈禱師」という、結びつくはずのない言葉が結びついてあらわれています。当時の人々は誰でも、病気や不安、ことに精神的な病は、悪霊がやってきてその人の中に住みつくために起こったと信じていました。だから悪魔祓いは公認された職業でした。諸国を巡回している[…続きを読む]