私たちの立つべきところ
2023年12月17日 マラキ書3:19~24、ヨハネによる福音書1:19~34 関 伸子牧師 洗礼者ヨハネはヨルダン川の東、ベタニヤで洗礼を授けていました。彼の働きは、ユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民とがやって来るほど劇的な様相を呈していました。この運動がエルサレムの当局者に見過ごされるはずはありません。 「さて、ヨハネの証しはこうである」(ヨハネ1:19)。ここでイスラエルの民はユダヤ人たちと呼ばれています。そのユダヤ人たちは、しばしばイエス[…続きを読む]
どうしたら信じられるか
2023年12月10日 列王記上22:6~17、ヨハネによる福音書15:41~7 関 伸子牧師 主イエスは「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。それなのに、あなたがたは、命を得るために私のもとに来ようとしない」(5:39~40)と、今日の聖書箇所の直前のところでいわれます。旧約聖書は命について語っているのに、人々はそれを与えるために人間となられた御子イエスを認めようとしない。真実の言葉である[…続きを読む]
光の射す途へ
2023年12月3日 イザヤ書52:1~10、ヨハネによる福音書7:25~31 関 伸子牧師 待降節第1主日の礼拝をささげています。教会暦では待降節から新しい年が始まります。日本の状況において、待降節は、「待つことの出来ない」時期でもあります。教会にとっては、クリスマスに向けての準備の時ですけれども、街中はすでにクリスマスを迎えたかのようにクリスマスが祝われていますが、私たちはイエス・キリストの到来に向けての準備する時でありたいと思います。 クリスマス[…続きを読む]
解き放たれて生きる
2023年11月26日 エレミヤ23:1~6、ヨハネの黙示録1:4~8 関 伸子牧師 先ほどヨハネの黙示録第1章4節から8節をお読みしました。ヨハネ黙示録は第3章10節に「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから、地上に住む人々を試すため全世界に迫りくる試練の時に、私もあなたを守ろう」とあることから考え、90年代の後半にエフェソで書かれたと思われます。この頃、ドミティアヌス帝による教会迫害が激化し、殉教する者も現れ、しかも教会内にも異端的な思想が起[…続きを読む]
神のみに立つ希望
2023年11月12日 創世記12:1~9、ローマの信徒への手紙4:13~25 関 伸子牧師 今日、みなさんとご一緒に読むローマの信徒への手紙第4章は、とても大切な信仰の道筋を与えてくれます。ここでパウロは、旧約聖書の創世記が語っている、アブラハムの信仰を思い起こしています。 「世界の相続人となるという約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるのです。もし律法に頼る者が相続人であるとするなら、信仰は空しくなり[…続きを読む]