神の望みにしたがう
2022年1月30日 創世記3:16~19、マルコによる福音書1:40~45 関 伸子牧師 主イエスは諸会堂で説教を続けます。マルコによる福音書第1章40節から45節には、ガリラヤ全地に展開された主イエスの活動の一環として「規定の病」の人のいやしの出来事が記されています。 「規定の病」と訳されているギリシア語レプラを、新共同訳は、「重い皮膚病」「かび」と訳し分け、レプラを「らい病」としていましたが、ハンセン病回復者の人たちからの批判に応えて1996年、[…続きを読む]
神の国は今ここに
2022年1月23日 申命記30:11~15、マルコによる福音書1:21~28 関 伸子牧師 主イエスの宣教は言葉による教えと行為によるしるし(悪霊を追い出す)ことでした。弟子たちを遣わす時、「宣教に遣わし、悪霊を追い出す権能を持たせる」(3:14~15)ことからも、そのことがよく分かります。 「一行はカフェルナウムについた。そして安息日にすぐ、イエスは会堂に入って教えられた」(21節)。冒頭ではイエスが会堂に「入って」教えたとあり、末尾の28節ではイ[…続きを読む]
誰に従うのか
2022年1月16日 エレミヤ1:4~10、マルコによる福音書1:14~20 関 伸子牧師 マルコによる福音書には、主イエスが伝道を始められたのは何年何月であったというような記事はありません。主イエスの誕生については、たとえばルカによる福音書では、皇帝アウグストの勅令が出て住民登録が行われた年、と記してあります。主イエスの伝道開始については、このマルコによる福音書では「ヨハネが捕らえられた後」(14節)とだけ書いてあります。 バプテスマのヨハネは、主イ[…続きを読む]
天からの声を受け入れる
2022年1月9日 イザヤ書55:1~11、マルコによる福音書1:9~11 関 伸子牧師 カトリック教会では、1月6日公現日の後の最初の主日に「イエスの洗礼」を祝い、これをもって降誕節の終わりとしています。今日はマルコ福音書からここに与えられている固有のメッセージを聴き取りたいと思います。 「神の子イエス・キリストの福音の始め」。それはどこから語り始めるべきものなのでしょうか。マルコは、洗礼者ヨハネの授ける洗礼から始めました。主イエスは公の生涯を、洗礼[…続きを読む]
希望に生きる
2022年1月2日 エゼキエル書14:12~23、ペトロの手紙一1:3~9 関 伸子牧師 新年最初の礼拝をささげています。年末には、過ぎ去った年がどうであったか振り返ることがあったと思いますけれども、新しい年が明けると、不思議なほど私たちの心が高く挙げられ、希望をもって日々を歩んでいこうと思うのではないでしょうか。私たちは信仰生活をしている者たちであります。その信仰者の特徴の一つは神をほめたたえて生きる、その中で神の言葉を聞くことであります。 ペトロ[…続きを読む]