平安のうちに遣わされる
2022年4月24日 詩編145:1~13、ヨハネによる福音書20:19~31 関 伸子牧師 日曜日の朝、マグダラのマリアに顕れた主イエスは、その夕方には他の弟子たち、12弟子とその他の弟子に自らを現わされました。弟子たちは、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた」と、ここで弟子たちが恐れていたことが強調されています。弟子たちがユダヤ人たちを恐れていたのは、彼らがイエスの命を狙っていて、実際にローマ帝国の権威の元で処刑へと導いたか[…続きを読む]
復活のいのちに生かされて
2022年4月17日 出エジプト記14:15~22、マルコによる福音書16:1~8 関 伸子牧師 Happy Easter! この地に今も戦いがありますけれども、主のご復活によって新しいいのちが始まります。マルコ福音書の復活物語はとても素朴です。しかし、8節の最後の言葉は「恐ろしかったからである」で終わっています。復活の記事、福音を語る福音書の最後の言葉が「恐ろしかったからである」となっていることはとても不思議です。 安息日は夕方に終わるのですけれ[…続きを読む]
弟子たちへの招き
2022年4月10日 ヨナ書4:1~11、マルコによる福音書14:32~42 関 伸子牧師 主イエスは、数刻も経たないうちに離反してしまう弟子たちと共に、過越の食事の席から遠くはないゲッセマネの園に赴きます。そこからさらに、ペトロとヤコブとヨハネを伴って園に進みます。この三人は、「山上の変貌」(マルコ9:2以下)にも証人とされた人たちです。彼らはその時々に、神の臨在と働きの目撃者とされ、時至ったとき、これを証しする責任ある務めを担わされたのです。 ここ[…続きを読む]
主に従う喜び
2022年4月3日 イザヤ53:10~11、マルコ10:35~45 関 伸子牧師 キリスト者の生活とはどのようなものなのか、と問われたらみなさんはどう答えますか。それは、主イエス・キリストに従って行く生活です。しかし、どのように従っていくのか。そして、本当に従うためには、主イエスのお考えや願いを知らなければなりません。なぜなら、私たちの願いや考えは勝手なものになりやすく、また、うつろいやすいからです。 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが、「進み出て」(原意で[…続きを読む]