神の家への招き
2026年7月12日
詩編119:129~136、テモテの信徒への手紙一3:14~16
関 伸子_牧師
使徒パウロがテモテの信徒への手紙を書いた目的は、自分のエフェソ訪問が遅くなっても、テモテが教会で「どのように行動すべきか」を知ることのできるためでした。パウロは「近いうちにテモテのところに行きたいと思いながら、この手紙を書いています」(14節)とこの箇所を書き始めます。この1節の中に牧会書簡のひとつであるこの手紙が書かれた理由のすべてが言い尽くされています。
牧会書簡が書かれたのは、人々が教会の中でどのように生活すべきかを教えるためです。パウロはエフェソに行きたいと思いながらも、訪問が遅れた場合のことを考えて、テモテに手紙によって指示を与えることにしました。使徒として、先輩として、そして動労者として、若い牧会者テモテが苦闘しているのを放っておけなくなったパウロの思いやりが伝わってきます。
この箇所でパウロは、「教会」についてきわめて重大な発言をしています。教会は、「真理の柱であり土台である」(15節)と言われています。そのお方が真理の柱となられたのは、実に肉に現れたことによります。罪深い人間が、天にまでのぼることはできないので、天にいる御子が、自ら地にくだり、わたしたちと同じになられたのです。そして、まさにこの手紙が書かれた時、教会に吹き荒れていたグノーシスの異端は、イエス・キリストの肉体性、新体制を否定するものだったので、ここでもそのことが強調されています。教会はこの方のからだであるかぎり、地上における、その真理の柱、基礎となれるでしょう。わたしたちの地上の組織も、神を賛美することで終わりたいと思います。
「真理」とはキリスト教信仰全体の正しい教えと真実のことであり、その中核に位置するのは主イエス・キリスト御自身です。教会はこの真理の上に建てられるものなのです。「神の教会」は、神によってこの世から召し出されたキリスト者の集いです。その教会は、イエス・キリストによって「据えられた真理」によって建つがゆえに揺らぐことがありません。
ここで「柱」と「土台」について考えたいと思います。ある注解者は、パウロのこの表現は、エフェソにあった異教のアルテミス神殿の柱と土台を念頭に置いた表現と見ています。その場合の柱は、確かに支えの役目をしますが、それ以上に外観の方が重要です。それは土台についても同様です。
このようなことを念頭に置いて、この世界との関係において「真理の柱であり土台」としての地上の教会を見る時、教会はキリストの真理の証しの場であり、その真理を崩されないように守るところでもあります。これはとても重要な事実です。
エフェソの教会も、数々の問題を抱えていても、異端や信仰的脱線から何としても守られなければならなかったのです。それはまた今日のわたしたちの教会でも同じです。わたしたちは、自分の所属している教会に与えられたこの重大な使命を心に留め、しっかりした教会生活を送りたいと思います。ちいさな群れであっても、神の摂理に立てられた教会なのです。
「まぎれもなく偉大なのは、敬虔の秘義です。すなわち、キリストは肉において現れ 霊において義とされ 天使たちに見られ 諸民族の間で宣べ伝えられ 世界中で信じられ栄光のうちにあげられた」(16節)。
さて、パウロはここで、真理の内容を「この敬虔の秘義」ということばの内にまとめて言及していますこの六行詩は、初代教会の賛美歌の一部だったと考えられます。その内容は、イエス・キリストの生涯全体にわたる事実です。
「まぎれもなく偉大なのは、敬虔の秘義です」という表現は、かつてパウロが第三伝道旅行(53年から57年、使徒言行録18:23~21:26)の際にエフェソに来た時に、人々が「エフェソの人々のアルテミスは、偉大である」と叫んでいたことに対抗した意図的な告白文です。この「アルテミス」とは元々はギリシアの女神の名前ですが、ここでのアルテミス女神像はエフェソの地母神であり、何十もの乳房を持つ出産と肥沃の守護神です。この女神像は世界の七不思議のひとつとされている神殿に立っていました。パウロがこの賛美歌を記したのは、「異なる」「教え」が説かれているエフェソにおいて(テモテ一1:3)、監督者や奉仕者たちを中心にして「健全な教え」の要旨を確認するためです。
これらのことは、人間の知性や理解から出たものではなく、わたしたちの知覚をはるかに越えた事柄であって、神が啓示された(教えただけでなく、実現された)不思議であり、奥義です。そしてその中心におられるのがイエス・キリストとなのです(コロサイ2:2)。これらのことは、パウロによって「確かに偉大な」ことであると言われています。
求道者が見出すのも、信仰者が信仰生活の力と祝福を与えられるのも、すべてはわたしたちのために死んでよみがえられたキリスト・イエスによるのだということをわすれてはなりません。教会は、このキリスト信仰の真理を明らかにしているところであり、またその真理を守り支えるところでもあります。パウロは、その教会でキリスト者はどのように行動すべきかということを、この手紙全体を通して教えているのです。
このみ言葉は、私たちに「教会の家族として正しく生きよう」と励ましています。私たちが神様の言葉をしっかりと守り、愛を持って行動することが、何よりの神様への感謝になることを覚えて、教会の大切な家族の一人ひとりとして歩んでいきましょう。祈ります。