キリストによる愛の至高性
2026年5月31日
詩編8:1~10、コリント一13:1~13
希望が丘教会 松矢 龍造_牧師
さて、私たちが生活し続ける為には、何が最も大切でしょうか。私は思います。最も大切なものは、「希望」であり「愛」だと思います。旧約聖書の詩編8編では、「人とはいったい何者であるのかと問われています。小さく弱く醜い私であっても、創造主にして救い主である神様は、なお顧みを続けていてくださってといます。そこに愛と希望があります。
旧約聖書に、人生における知恵が記された書簡の一つに、コヘレトの言葉があります。その中で、私たちの人生から、創造主にして救い主なる神様を除いてしまったなら、人生はまったく空しくなってしまうと言っています。
またもう一つは、私たちの人生において、死の解決を得なければ、全ての人生には空しくなると言いました。私も、死の解決を求めて、教会の門を叩いた一人です。
そして新約聖書では、もう一つ、人生において、空しいことがあると加えられました。それは、もし「愛」がなければ、全て空しいということです。
これら全ての空しさは、創造主にして救い主なる神様であるイエス・キリストの愛と、十字架と復活にあって唯一解決される。それが、神の言葉である聖書と、キリスト教が示していることです。
けれど、私たちの社会では、時に真実な愛と、欲望を混同することが起こり得ます。言葉では「愛している」と表現しながら、実は自分の欲望のみであったりします。すなわち自己中心的なものを、愛と勘違いしてしまうということです。
これに対して、神様の真実で永遠の愛は、欲望とは違います。神様の示される愛は、他の人に対する、自分以外の存在に向けられたものです。すなわち自分という内部に向けられたものだけとしての欲望ではなく、他の存在に注がれる愛のことです。
今日の御言葉である13章では、全体として愛の要素が展開されています。その中で、特に8~13節を取り上げます。ここには、愛の永遠性と絶対性と完全性が、預言や異言や知識の一時性と対比されています。12節で「おぼろに」と訳された言葉は、原文では「ぼんやり」とか「謎」とか「不明瞭な像」という意味でもあります。しかし主イエス様が、復活によって示された愛は明瞭で、かつその愛は永遠で、真実です。しかし地上における預言や異言や知識は、部分的であり、断片的であり、未完成であり、不完全です。
古代で使われていた鏡は、青銅で出来ていました。ですから、今の鏡のように、明瞭には映し出せないものでした。コリント街は、この青銅の鏡の製造の中心地であったと言われます。使徒パウロは、現在は、神様と、人と、世界についての真理は、一部であり、不明瞭であるとしています。そしてイエス様が世の終末において再び来られる、いわゆる再臨される時には、人間が現在、理解できない、神様の秘められた計画の全てが明らかにされます。
現在、確かなことは、私たちの全てが、神様によって完全に知られていることです。そして主イエス様が、再臨されて、私たちが天の御国に入れて頂いた時、私たちにも、神様から、地上で不条理に見えることや、神様と人と世界に対する全ての謎を、教えていだけるでしょう。けれど、今は、部分的なことしか知らなくても、神様から私たちが愛されていることだけは、現在でも完全なことです。
13節「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。」
いつまでも、残るものは、信仰と希望と愛です。これらは、聖書の中で、他にも永遠と言われている、神様と、神様の言葉が基となって、与えられるものです。信仰とは、神様への信頼と信仰のことです。すなわち神様と神様の事柄とに対する、人間の関わりについての確信と信念のことです。
また希望とは、明日への期待と希望のことです。すなわち、永遠の救いに対する喜びと、確信に満ちることです。そして愛とは、私たちに対する、また私たちの内にある、神様の愛から生じる、神様と人に対する真実な愛情のことです。
そして、この三つの中で、最も大いなるものは、愛と言われています。どうして、永遠に残るものの中で、信仰や希望よりも、愛が最も大いなるものであると言われているのでしょうか。その理由の第一は、旧約聖書の律法の精神は、心を尽くして神様を愛し、隣人を自分と同じように愛することだからです。そして新約時代は、主イエス様の十字架と復活による永遠の愛と、ご聖霊による力と実によって、新しい愛の律法が実現されてゆくからです。
第二に、信仰や希望は、先ず個人が抱くものですが、愛は、全てを完全に結ぶ帯として全体に及ぶからです。愛は、神様と人、人と自分自身、人と人、人と自然を、結びつけるから、最も大いなるものです。
第三に、愛なき信仰は、冷たく、愛なき希望は、いかめしいです。愛は信仰を燃やす火であり、愛は希望を現実に変える光です。
第四に、神様は愛だからです。信仰や希望は、この神様の愛によって与えられるものです。そして、この愛なる神様に対する、信仰と希望だからです。
そして第五に、12章31節で「最も優れた道」を教えるとして、それが愛です。それ故に、愛は、最も大いなるものとされています。
神様に愛されている皆さん、このキリスト・イエス様の愛を、内なる御聖霊によって頂き続け、私たちも、キリストによる愛の至高性に生かされ、生きて行きませんか。お祈り致します。