神の言葉をたたえる
2022年7月17日 エレミヤ23:23~32、ガラテヤ5:2~11 関 伸子牧師 パウロはガラテヤの教会の信徒たちに語ります。「この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかりと立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません」。ここで、自由を得させるとは、何をしてもかまわないという意味ではなく、不安からの自由と解釈してもよいと思います。私たちはいろいろな不安を持っています。そういう不安から自由にされるということです[…続きを読む]
神の言葉は永遠に生きる
2022年7月10日 エステル記4:10~5:8、使徒言行録13:13~25 関 伸子牧師 使徒パウロの第一回宣教旅行は、聖霊に送り出されて、アンティオキアの教会の熱い祈りに支えられて始まりました。 「パウロとその一行は、パフォスから船出したパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」(13節)。これまでは「バルナバとサウロ」と言われてきましたけれども、これからはパウロが一行の指導者になります。パウロの第一回伝道旅行[…続きを読む]
主イエスに遣わされて生きる
2022年7月3日 アモス書7:10~15、マルコ6:1~13 関 伸子牧師 宣教への派遣は、神による御業です。それは、自分の意志や願望によるものではなく、神の召しによる派遣です。預言者アモスは、神の御声を聴いて召しを受けました。預言者でも、預言者の弟子でもなく、単なる農夫にすぎないアモスですけれども、神が彼を「取り」(アモス7:15)ました。ここでの「取る」は「選びだす」の意味ですけれども、「選ぶ」と言わずに、「取る」を用いたのは、一介の農夫を預言者と[…続きを読む]
神の力強い恵みの勝利
2022年6月26日 サムエル記上16:14~23、マルコによる福音書5:1~20 関 伸子牧師 主イエスによるゲラサ人の癒しの物語で、汚れた霊に取りつかれた人は住む家を失っていました。この人は「墓場を住みかとしていた」と記されています。こうしたところに身を隠さないではいられない特別な事情があったのです。この人にはプライドだけが残っていたのかもしれません。他人の哀れみを受けるのが耐え難い苦痛だったのかもしれません。人びとが足枷や鎖で押さえつけようとしたの[…続きを読む]
歌が生まれる教育
2022年6月19日 申命記23:25~26、マルコによる福音書2:23~28 濵崎 孝(引退教職者) 神さまを賛 する詩や詩的な叙述を豊かに宿す聖書、その神さまからの手紙が私どもに語りかける大切なものは、キリスト・イエスさまがなさった歌の生まれる教育、真実な愛による養育です。 マルコによる福音書が証言する「神の子イエス・キリスト」(1章1節)―この方は、安息日について権威ある新しい教えを語った偉大な教師でした。イエスさまは本当に深い意味で、人間を[…続きを読む]