何も持たない旅
2020年2月23日 列王記上17:1~7、ルカ9:1~6 国立のぞみ教会 唐澤健太 牧師 主イエスが十二人の弟子たちを派遣するにあたり語られた派遣の言葉は驚くべきものだ。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)。外敵から身を守り、疲れた時の支えとなる杖も、旅先のあらゆる事態に備えて品々を入れる袋も旅の必需品だ。さらにパンも、金も持っていくなと主イエスは弟子たちに命じられた。 […続きを読む]
もうだめか?いや道はある
2019年11月17日 イザヤ49:11~16、ルカ16:1~13 荒瀬 牧彦牧師 主人の資産を無駄遣いしてしまった管理人が、報告を出せ、お前はもう首だと迫られてから、主人に借金にある人たちを呼び出して、その借金を大幅減額してやった。それによって、失職後に自分を迎え入れてくれる場所を確保した。その話を聞いた主人が、その管理人の賢いやり方をほめた、という譬えである。 イエス様は、なんでこんなひどい話を譬えに使ったのだろう。もしイエス様が神学校の説教演習で[…続きを読む]
今この時、隣り人に
2019年10月27日 ヨシュア記24:4~5、コリントの信徒への手紙二6:1~10 めぐみ教会代務者 石塚 惠司牧師 ヨシュア記24章の鍵となる言葉は「主に使える」。ヨシュアは『私と私の家族とは主に使える』と語り、自覚的に信仰を告白している。私たちにとって家族伝道は日々の祈りだ。その道半ばにあり、苦闘している自分がいる。父の祈りにはいつも『私と私の家とは主に仕える』があったが、それは今の私の告白でもあ[…続きを読む]
共に生きる喜び
2019年10月20日 カンバーランド長老キリスト教会 東小金井教会 臼井 正人 長老 旧約聖書 詩編 34編12節~23節(864頁) 新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章9節~21節(292頁) 今朝はアジア教職者修養会で香港へ行かれている関伸子牧師に代わり、説教をすることになりました。このように皆さんに向かって説教をすることになるなど、全くの想定外でして、祈祷会での奨励でも四苦八苦する私に務まるのだろうか、とは思いつつ、これも神さまから与[…続きを読む]
イエスの焼き印を身に受けて
2019年7月14日 イザヤ書66:10~14、ガラテヤ6:11~18 国立のぞみ教会 唐澤 健太牧師 「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(17節)。パウロは手紙を閉じるにあたって、自分が何者であるのかを改めてガラテヤの人々に告げた。焼き印は英語では「ブランド」。その印によってどの店のブランドがわかるように、パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」のだ。パウロは、わたしはイエスのものだ。もっといえばわたしはイエスの奴隷だ、と告白している[…続きを読む]