つべこべ言わず故郷へ行こう
2022年10月23日 ゼカリヤ13:7~9、マルコ14:26~31 石塚 惠司牧師(めぐみ教会) 過越の晩餐を終えると、酒イエスは弟子たちとオリーブ山麓への道を歩き始めます。今日の箇所はその道中の出来事です。今日は弟子たちに向けて語ったイエスの二つの言葉に焦点を当てて読みましょう。一つは27節、もう一つは28節です。 1.「イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆、(私に)つまずく。 『私は羊飼いを打つ。すると、羊は散らされる』と書いてあるからだ。([…続きを読む]
静けさの中に立つ
2022年10月16日 イザヤ書25:1~9、ヨハネの黙示録7:1~17 関 伸子牧師 聖書には、私たちは死後、すぐに主イエス・キリストのみもとに行くと語られている箇所と、死後は眠っていて、キリストの再臨の日、終わりの日に復活して、キリストの御前に立つと語られている箇所があります。しかし、やがて復活して救われるまで眠っているとしても、その眠りも主イエスによる神の恵みの支配の中にあるのですから、どちらも互いに矛盾していません。そして、特に、この終わりの日に[…続きを読む]
福音の希望に生きる
2022年10月9日 創世記32:23~33、コロサイの信徒への手紙1:21~29 関 伸子牧師 今日の箇所の直前に記されていることを読むと、コロサイ教会の人々は、パウロが伝えた福音とは異なる教えに引き込まれる危険にさらされていたようです。そこで、人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事と言われることに気をつけるようにとコロサイの信徒を戒めます。彼らに欠けていることは、キリストの苦難を身に負うことのようです。 主イエス・キリストは、創造と[…続きを読む]
主のいのちの響きに呼応して
2022年10月2日 出エジプト12:21~27、マルコ14:10~21 関 伸子牧師 先ほどお読みしたマルコによる福音書第14章12節以下には、私たちが今日聖餐式として祝っている食事の原型があります。過越の食事を祝うイエスは、既にご自分が人々の手に渡されることを知っていました。それは過越祭に屠られる小羊としてのご自分の姿でした。それはもともとユダヤの過越の食事でした。 過越の祭りはペサハと呼ばれ、真夜中に神がエジプトのすべての初子を殺した時、天幕の柱[…続きを読む]
蒔く者に与えられた恵み
2022年9月25日 詩編112:1~10、コリント二9:6~15 関 伸子牧師 今日は召天者記念礼拝をささげています。今年6月に老衰のため102歳で天に召された川岸三枝子さんの家族葬を、八王子の家族葬専門の場所で行いました。私は三枝子さんと直接お会いしたことはなかったのですけれども、川岸さんご夫妻は、主に豊かなささげものをして生きた方であったと、数人の方が教えてくださいました。残された息子さんもそのことを覚えていました。私は川岸さんの息子さんと話したこ[…続きを読む]