イエスは命のパン
2020年8月30日 出エジプト16:1~12、ヨハネ福音書6:48~51 関 伸子牧師 今日の礼拝は、東京三教会合同主日礼拝を国立のぞみ教会を会場としてささげる予定でしたが、コロナ禍にあって集うことが難しいので、3教会が同じ式文を用いてそれぞれの教会で礼拝をささげています。わたしたちは、今年読み進めているヨハネによる福音書、第6章48節から51節、更に57節までを通して学びたいと思います。 みなさんは、いきなり次の聖書のみ言葉を聴いて、どうお感じにな[…続きを読む]
律法を実現するイエスのわざ
2020年8月16日 詩編146:1-10、ヨハネ福音書7:1~9 関 伸子牧師 ことばとしるしをもって、主イエスは世にご自分を示し続けられます。ガリラヤは、イエスが水をぶどう酒に変え、役人の息子をいやし、5,000人を養われた舞台です。ニコデモやサマリアの女という個人が相手の場合もありますけれども、ユダヤ人たちを相手にご自分を示される場合もある。ヨハネによる福音書第7章には仮庵祭が背景となり行われたイエスとユダヤ人たちとの論争のことが記されています。 […続きを読む]
すべての人を引き寄せる神
2020年8月9日 列王記上19:4~8、ヨハネ6:41~51 関 伸子牧師 ヨハネ福音書は冒頭の第1章1節から一貫してイエスの神性について論じられています。5,000人の群衆とパンを分かち合った後に、イエスは「いのちのパン」としてご自分を示されます。このいのちはイエスの言葉に従うことを要求する。群衆の中の何人かがイエスに反発します。第6章1節から40節に登場するのはガリラヤの群衆であってユダヤ人ではありません。しかし、41節で群衆がつぶやくとき、彼らは[…続きを読む]
人を生かすパン
2020年8月2日 出エジプト16:1~5、12~15、ヨハネ6:22~35 関 伸子牧師 先週から教会の祈祷会は夏季プログラムになり、長老・長老経験者による奨励が始まりました。7月29日はKさんが担当して、描き終えたばかりの紙芝居『みにくいあひるの子』を披露してくださいました。集った皆さんの数人が「わたしも白鳥になりたいと思っている」と言われ、思わず微笑みました。信仰者としてまだ途上にあると思っておられるのでしょう。誰でも人生の途上において、「わたしは[…続きを読む]
命を与えるイエス
2020年7月26日 イザヤ書43:1~7、ヨハネによる福音書6:16~21 関 伸子牧師 主イエスはご自分を強引に王にしようとしている群衆を避けて、山に行き暗闇の中で一人になって祈っていました。山から見下ろせば暗黒の中にティベリアス湖があり、かつてイエスはその湖の暴風を沈めたことがありました(マルコ4:35~41)。 「すでに暗くなっていたが」マタイとマルコでは、弟子たちの船出が闇の迫る時刻だとは特に明記されてはいないので、ここにヨハネ福音書固有の主[…続きを読む]