ボーダーラインで出会う救い主
2021年10月3日 創世記28:10から19a、ルカ17:11-19 あさひ教会代務者 荒瀬牧彦牧師 エルサレムへと上って行く途中、イエス様はサマリアとガリラヤの「間」を通っておられました。この「間」は小金井と三鷹の市境とは異なり、反目と憎しみの歴史を抱えた、深い断絶のボーダーでした。ラインというよりはボーダーというべき境界領域であり、直接衝突を避けるための緩衝地帯でした。そこには誰がいるのか?社会から隅に追いやられた人たちです。力のある人たちは中心に[…続きを読む]
雀の神はあなたの神
イザヤ62:1~5,ルカ12:4-7 荒瀬牧彦牧師(神学教師・あさひ教会協力牧師) イエス様が弟子たちに言われました。「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」。このことを、イエス様が「友人」として語り掛けているのは重要なことです。上から目線で無理難題を吹きかけているのではなく、同じ所に立ち、弱る時も一緒にいてくれる「友」として、怖がり屋の弟子たちに「恐れなくていい」と言ってくれているのです[…続きを読む]
もうだめか?いや道はある
2019年11月17日 イザヤ49:11~16、ルカ16:1~13 荒瀬 牧彦牧師 主人の資産を無駄遣いしてしまった管理人が、報告を出せ、お前はもう首だと迫られてから、主人に借金にある人たちを呼び出して、その借金を大幅減額してやった。それによって、失職後に自分を迎え入れてくれる場所を確保した。その話を聞いた主人が、その管理人の賢いやり方をほめた、という譬えである。 イエス様は、なんでこんなひどい話を譬えに使ったのだろう。もしイエス様が神学校の説教演習で[…続きを読む]
子どもの声が聞こえるか
2019年5月19日 詩編8:2~3、マタイによる福音書21:12~17 荒瀬 牧彦牧師 「宮清め」と呼ばれてきた箇所だが、初めて読んだ方は、「宮清め」ではなく「大暴れ」と思われたのではないだろうか。神殿の境内で、いつものように商売をしていた人たちを追い出して、その人たちの台や椅子をひっくり返した。なんでこんなことをされたのか。イエス様は、大暴れの後にこう言われた。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている[…続きを読む]
先立つ主に従う旅路
2018年4月22日 出エジプト13:17-22、ヨハネ1:14、18 めぐみ教会 荒瀬 牧彦 牧師 意気揚々とエジプトを出国したイスラエルの人たち。しかし、すぐに「乳と蜜の流れる地」に入れたわけではありませんでした。そんなに長くかかるとは思わなかったでしょうが、結局40年を荒れ野で旅し続けたのです。神さまの力不足のために入る土地を用意するまでに手間取ってしまった、ということではありません。種々雑多な人たちの集まり、しかも自分勝手で移り気で不安定な人たち[…続きを読む]