キリストの愛に生かされる
2024年9月15日 歴代誌下7:11~16、エフェソ3:14~21 関 伸子牧師 聖書の中の諸文書を書いている人は、みな、祈りながら書いていたであろうと思います。これは自分のことではなく、神のことだからです。人間に向かって話ながら、神にも向かっている、ということになると思います。今日ご一緒に読むエフェソの信徒への手紙第3章は、ひとつの区切りとなります。そこで、見事な祈り(14~19節)と頌栄(20~21節)によって結ばれるのです。 「このようなわけで[…続きを読む]
立派に生きるとは
2024年9月8日 エレミヤ50:4~7、ペトロの手紙一2:11~17 関 伸子牧師 今年のわたしたちの教会の標語聖句、「(主イエスの言葉)私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました」(ヨハネ17:18)とあるように、教会は和解を世に伝える務めのために、世から召し出され、世に遣わされます。教会とキリスト者は世の只中にある。しかしそのかぎり、世に憎まれ、世の誘惑にさらされることも避けられません。だからキリスト者は「世に倣う」ことがあってはな[…続きを読む]
いのちの真理
2024年9月1日 エレミヤ書28:1~17、ヨハネの手紙一5:6~12 関 伸子牧師 イエス・キリストは人びとを、とりわけ、悩み苦しむ者を愛し、最も小さい者たちを御自分の周りに置かれました。しかし、その結果は、十字架につけられるという敗北であったようにも見えます。けれども、十字架は終わりではありません。復活が続きます。復活は、この人類を愛しぬかれた神の子が、最後に勝利することを意味しています。ここで「世に勝つ」と言っているのは、「世俗」の意味です。この[…続きを読む]
解放
2024年8月18日 出エジプト記34:4~9、ヨハネ8:1~11 関 伸子牧師 朝早くイエスが神殿境内で民衆に教えていたとき、律法学者たちやファリサイ派の人々が姦通の現場で捕らえた女性をイエスのもとに引き立て、真ん中に立たせます。 もしイエスがこの女性に石殺しを命ずるなら、ローマの禁令を犯したかどでイエスをローマに訴えることができるし、逆にこの女性を大目に見て釈放するなら、律法違反と騒ぎたてることもできます。どちらにしても、イエスを訴えられるのですか[…続きを読む]
力を合わせて働く
2024年8月11日 ヨブ記28:12~28、コリントの信徒への手紙一3:1~9 関 伸子牧師 パウロはこういう手紙をいくつもの教会に送りました。パウロは、第2章の終わりに、「私たちは、キリストの思いを抱いています」と語りました。そういう言葉を聞いていると、私たちもうなずきながら聞きます。実際に、コリントの教会の人々の生活を見て、その信仰を考えて、それにふさわしいように話をしようとしているのです。そうしてみると、この教会の人びとは、まだ、幼子のようなもの[…続きを読む]