目を覚ましていなさい
2021年11月28日
「目を覚ましていなさい」イザヤ51:4~11、マルコ13:24~32
関 伸子牧師
マルコ福音書第13章は「小黙示録」と言われ、主イエスが終末について語られたことが時間的経過に従って、淡々とその様子を描写しています。まず、「太陽は暗くなり 月は光を放たず 星は天から落ち 天の諸力は揺り動かされる」、というように天変地異が描かれます。
次に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(26節)ことが語られます。主イエスが、殊更に、御自分を指すかのように「人の子」という語を用いられたのは、明らかに終末の時に現れるメシア的存在と、歴史の中で、今、ここで神の御旨に従って働いておられるご自身とを重ね合わせてみておられることを暗示します。いずれにしても、人の子は地上に属する人間ではなく、天から降る神の子です。
ただし、私たちが信じている主イエス・キリストは、天使の大軍を率いて超越的な仕方で勝利を得、地上に滅びをもたらすようなメシアではありません。貧しい者、弱い者、世に棄てられた者をこのなく愛し、その重荷を共に背負い、人々の足を洗い、十字架上に人々の身代わりとなってその罪を贖い、復活において罪と死と悪魔の支配に打ち勝ち、人々に新しい永遠の命を与えられる救い主であります。
人の子の到来をこのように描いてから、いちじくの木をたとえに用いて、その到来の確かさを強調します。いちじくの木は落葉樹ですから、冬が近づけば葉を落とし、夏が近づけば葉を茂らせます。このような木は時節の到来を知らせる確実なしるしとなります。
「これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいている」とは、どういうことでしょう。単純に言えば、今、主イエスの働きや語りかけを通して、既に神の臨在が明らかになっており、私たちの日常生活の一切が神の目にさらされ、神の手が働いていることに気づきなさいと言われたのであります。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」言われた主イエスの言葉が、伝道活動に一貫しています。ユダヤ人たちは、いつの日か神が姿を現してくださるだろう、身近な存在として発見したいと願っていました。それが終末の期待であり信仰であったのですけれども、主イエスはその日が既に来ている、始まっていると言われるのです。
人の子の到来は、神などないとして悪を行い、罪を重ねていた人々に対する裁判が行われ、罪人は罰せられ、義人は救われるという最後の審判と関係します。イザヤは「私の民よ 心して聞け。私の国民よ、私に耳を傾けよ。教えは私から出て 私は私の公正をもろもろの民の光とする」とイザヤ書第51章4節で語ります。イザヤはどのように神の義(ツェデク)がもたらされると考えたのでしょう。7節の「人のそしりを恐れるな」は、「主の僕」とのつながりを想起させる表現です。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 痛みの人で、病を知っていた」(イザヤ53:3)。2,000年前、ベツレヘムで飼い葉桶に寝かされた幼子が、苦難の僕として生きることを自らの使命とし、十字架への道を選び取られたことを私たちは知っています。神の正義、恵みの業はその方においてはっきりとこの地に示されているのです。
主イエスにおいて、御自身がすべての罪人の罪が赦され、救われるために来られたのですから、主イエスの贖罪を信じる者が救われる時なのです。終末は、何よりも、救いの日、救いの時なのであります。
「よく言っておく」(30節)という言葉遣いは、聖書の中では特に主イエスが大切なことを宣言される際、枕言葉として用いられています。「これらのこと」というのは、直接には第13章の中で触れられている、異端の出現、戦争、地震、飢饉といった異象を指し、また弟子たちに襲いかかる迫害とか苦難を指すと考えられます。あるいはマルコの福音書は紀元後70年前後に書かれたとされますが、エルサレムがローマの大軍によって攻め落とされたという歴史的事件も、その背後に含まれているとも言われています。しかし、大切なことは、そうした世紀末的な現象に目を奪われてはならないということではないでしょうか。現代でも、次の時代にバラ色のユートピアを描くのは難しい。人類の破壊、地球の崩壊を予感する人の方が圧倒的に多いのです。それにもかかわらず、主は「これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」と断言されます。それは「まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない」(10節)からであります。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」という主イエスの御言葉は何と力強い宣言でしょう。
終末はすでに始まり、完成へと向かって進んでいます。神の正義(ツェデク)を待ち望みましょう。闇が深くても、先が見えなくても、私たちは確信をもって進むことができることに感謝します。今を大切に、目を覚まして、時のしるしを見分け、目覚めて生きていきたいと思います。祈ります。