勇気を出して生きることができる
2024年5月5日 詩編8:1~10、ヨハネによる福音書16:25~33 関 伸子牧師 「私はこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」(25節)。主イエスは、いつもは群衆に向かってはたとえ話の形で教訓を与えましたが、弟子たちには、人のいない時にその意味を説明されていました。ただし弟子たちに対する話も、イエスが肉体をもって地上に生きておられる間は、程度の差こそあれ、やはり、たとえ話の性質を帯びざる[…続きを読む]
わけのわからない神
2024年4月28日 創世記22:1~19、ヘブライ人への手紙11:8~12 篠﨑 千穂子伝道師(めぐみ教会) この有名なイサクの奉献物語から、私たちは「アブラハムは素晴らしい信仰を持っていたから、イサクを失わずに済んだ」と思ってしまいがちです。けれどもそれは、神の恵みや信仰は、神から無条件に与えられる賜物である…という話と矛盾します。本日は、この創世記第22章から「イサクを献げよ」と言ったり「イサクを殺すな」と言ったりする一見矛盾だらけの神が、本当はど[…続きを読む]
主よ、私たちを再び回復させてください!
詩編第85編1~7節 レベッカ・ザード牧師 今朝、皆さんと御言葉を分かち合えることを感謝します。みなさんが神の国で起こっていることに関心を持ち、福音を伝える励みとなることを祈ります。神が私を召されたこの道になぜ私が興奮しているのか理解していただくためは、神が私に経験させてくださったことについて、少しお話しする必要があります。 ジェイミー・A・グラントが書いた注解書によれば、詩篇第85編1節から3節は、神の恵み深い好意から生じる赦しが完全であることをたた[…続きを読む]
イエスの愛に生きる
2024年4月14日 イザヤ書61:1~3、ヨハネによる福音書21:1~14 関 伸子牧師 復活のイエスは、マグダラのマリア、ペトロと主の愛した弟子に現れ、かつて弟子たちと過ごされたティベリアス湖にも現れます。ここで誰もがこの福音書を読んだときに疑問に思うことがひとつあります。それは第20章において、マグダラのマリアから始まり、甦りになったイエスに会った人たちが何人もいた。弟子たちもそうであった。主にわざわざ訪ねていただいて「平安があるように」と祝福を受[…続きを読む]
平安のうちに遣わされる
2024年4月7日 出エジプト15:1~11、ヨハネ20:19~29 関 伸子牧師 マグダラのマリアは、主イエスと一対一の交わりをしていたので、復活の主イエスに「マリア」と声をかけられると、その声をおぼえていて、「ラボニ(私の主)」と反応しました。復活の出来事はすぐには分かりにくいことですけれども、復活した主イエスが度々現れることによって弟子たちは徐々に受け入れることができます。神の霊は、主が復活して、主の民の中におられることを悟らせます。 ヨハネによ[…続きを読む]