イエスの視線に従って
2021年1月17日 イザヤ書8:23b~9:3、マタイ4:12~22 関 伸子牧師 主イエスの宣教はガリラヤ地方で始まります。イスラエルの歴史においてガリラヤは辺境の地であり、軽んじられていた土地であったと言われています。その地で主イエスは、洗礼者ヨハネと同じように、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣教を開始されます。12節から17節はマルコによる福音書第1章14から15節と並行しています。これら比較すると、はっきりとした違いがあるのが分かり[…続きを読む]
神の望みに生きる
2021年1月10日 イザヤ書42:1~9、マタイによる福音書13:13~17 関 伸子牧師 三つの共観福音書が主イエスの洗礼について語っています。マタイは、「その時、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである」(13節)と、主イエスがヨハネのところに来られたことを強調します。神の子イエスは、まずマリアの胎に下り、家畜小屋に下り、エジプトに下り、ガリラヤに下り、そして今や荒野に下り、洗礼者ヨハネの下に洗礼を授[…続きを読む]
ご計画に従って
2020年1月3日 列王記上3:5,7~12、ローマの信徒への手紙8:26~30 関 伸子牧師 ローマの信徒への手紙第8章28節に、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています」と記されています。このみ言葉は、今年、わたしたちが標語聖句としてあげているものであり、わたしたちに大いなる希望を与えるものです。簡単にいえば、信仰を持っている者には、どんなことでも益となるように働いてくれ[…続きを読む]
私たちに関わる神の計画
2020年12月27日 イザヤ書60:1~6、エフェソの信徒への手紙3:1~13 関 伸子牧師 先週の日曜日、みなさまとクリスマス礼拝をささげ、今年最後の礼拝をささげています。この年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、恐さや不安でいっぱいになることが多かった私たちですけれども、混沌とした世にイエスさまのご降誕を喜び祝う礼拝をささげ、心の闇に光がともされました。 今もなお「闇」と「暗黒」が地上全体を覆っていますが、「あなたの上には主が輝き出る」[…続きを読む]
喜びを知る
2020年12月20日 イザヤ書7:10~14、マタイ1:18~23 関 伸子牧師 「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1:20)。このみ言葉を聞くと、ああ、受胎告知のことだと、みなさんは、すぐにルカによる福音書に描かれたマリアへの天使のお告げを思い浮かべるのではないでしょうか。フラ・アンジェリコを始め、西洋絵画に数多く描かれている〈受胎告知〉はマリアへの告知です。しかし、マタイ福音書によれば、〈受胎告知〉を受けたのはマリアではなく、マリアの夫となるべ[…続きを読む]