来るべき方は誰?
2020年12月13日 イザヤ書35:1~6a、10、マタイ11:2~9 関 伸子牧師 マタイによる福音書第11章2節以下は、獄中にいる洗礼者ヨハネの質問に始まり、ヨハネに対するイエスの言葉が記されています。洗礼者ヨハネはイエスの評判を獄中で聞き、弟子を送って、「来るべき方であるかどうか」とイエスに問います。「来たるべき方」(3節)。「わたしの後から来る方」(3:11)ですでに使われており、メシアを指します。 しかしマタイによる福音書第3章を知っている[…続きを読む]
神の励ましに生きる
2020年12月6日 詩編96:1-13、ローマの信徒への手紙16:25~27 関 伸子牧師 パウロの手紙は、いつも教会に対するあいさつで終わるのですが、ローマの信徒への手紙だけは、それに続いて、讃美の言葉が書かれています。当面の相手であるユダヤ人に対して激しく戦い、しかも理論だけではなく、自分の信仰を吐露するようなこの手紙が、神への讃美で終わっていることにとても感動を覚えます。 神の言葉を聴く者は、いつでも、それを聞くたびに自分が新しく力づけられ[…続きを読む]
再臨のキリストを待ち望む
2020年11月29日 イザヤ書2:1~5、マタイによる福音書24:36~44 関 伸子牧師 アドベント(待降節)第1主日の礼拝をささげています。アドベントは、ラテン語の「adventus(アドベントゥス)」から生まれた言葉で、「到来」という意味です。日本語では「待降節」とも呼ばれ、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日からクリスマスを準備する期間に入ります。このアドベントから、新しい一年が始まるとされています。 マタイ福音書第24章を読むと、エルサレム[…続きを読む]
雀の神はあなたの神
イザヤ62:1~5,ルカ12:4-7 荒瀬牧彦牧師(神学教師・あさひ教会協力牧師) イエス様が弟子たちに言われました。「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」。このことを、イエス様が「友人」として語り掛けているのは重要なことです。上から目線で無理難題を吹きかけているのではなく、同じ所に立ち、弱る時も一緒にいてくれる「友」として、怖がり屋の弟子たちに「恐れなくていい」と言ってくれているのです[…続きを読む]
救いの約束に従って
2020年11月15日 詩編77:17~21、マタイ5:38~48 関 伸子牧師 今日ご一緒に読む、マタイによる福音書第5章38節から48節は、山上の説教の続きで、まず「あなたがたも聞いているとおり・・・・・・と命じられている」という、昔の掟を想起させる主イエスの言葉で始まります。続いて「しかし、わたしは言っておく」という荘厳な宣言に導かれてイエスの斬新な命令が記されています。 「目には目を、歯には歯を」とは、誰かが人から身体的被害もしくは財産上の損害[…続きを読む]