イエスは既に世に勝っている
2020年5月17日 出エジプト33:7~11、ヨハネ16:25~33 関 伸子牧師 人間の弱さは危機に面した時に現れてくる。そして、人は悲しみの中に閉じ込められる。新型コロナウイルス拡大による緊急事態宣言が延長された今の私たちもそうかもしれない。主イエスは気の遠くなるような忍耐と寛容をもって弟子たちを導かれた。ところが弟子たちは、明日は主が十字架にかけられるという時になっても、なお、イエスの言葉が分からないで互いに論じ合っている。 主イエスは、ヨハネ[…続きを読む]
互いに愛し合いなさい、主の掟
2020年5月10日 エゼキエル書36:24~28、マルコ15:9~17 関 伸子牧師 ヨハネの福音書第15章は、ぶどうの木と枝のたとえ話が、最後の晩餐の席で行われる告別説教として始まります。主イエスは、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1節)と言われる。「わたしは・・・・・・である」と語られる文脈を見ると、二つの事に気づく。一つは、「イエスが・・・・・・である」のは必ず私たちとの関わりにおいてであるということ。もう一つは、前後に必[…続きを読む]
キリストの証人
2020年5月3日 イザヤ書62:1~5、ヨハネ21:15~25 関 伸子牧師 今日私たちがご一緒に読むヨハネによる福音書第21章15節以下において、復活された主イエスがペトロを捜して来てくださり、尋ねます。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と。しかも一度だけではなく三度までも。ペトロとのやり取りを通してペトロに対する牧会命令と言われている言葉が記されています。 ペトロは12弟子の中心的な人物でした。しかも、イエスを裏切るという決定的な失敗をし[…続きを読む]
イエスの愛に生きる
2020年4月26日(日) イザヤ書61:1~3、ヨハネによる福音書21:1~14 関 伸子牧師 今日、私たちがご一緒に読むヨハネによる福音書第21章は第20章とは関係なく話が進んでいくように感じます。ほとんどの学者たちはここは付記であると言う。 場所はティベリウス湖畔。2節を読むと、そこには、「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナの出身ナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」と記され、弟子たちは7人い[…続きを読む]
私の主、私の神よ
2020年4月19日 詩編118編13~25節、ヨハネによる福音書20章19~31節 関 伸子牧師 マグダラのマリアに復活のイエスが現れたのは日曜日の朝のことでした。その夕方には12弟子とその他の弟子に自らを現わされます。ところが、弟子たちは恐がって、家の戸を閉めて中に入ったまま、外にでようとしなかった。 弟子たちはいったい何を恐れていたのか。彼らは既に主イエスの復活をマグダラのマリアから聞いて知っていた。復活なさったのは、自分たちを愛してくださった主[…続きを読む]