小さな者を愛される主イエス
2021年9月5日 エゼキエル37:15~28、マタイ118:10~20 関 伸子牧師 マタイによる福音書第18章の10節から14節で「一匹の迷い出た羊」のたとえとして、主イエスが「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい」(10節)と語り始める。その結びで「そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない」(14節)と述べます。そして15節以降では、罪を犯した「きょうだい(教会員)」に対して[…続きを読む]
家族をつなぐもの
2021年8月15日 創世記24:62~67、マタイ12:46~50 関 伸子牧師 主イエスが群衆に話しをしておられる時、イエスの母マリアと兄弟たちが話したいことがあって、イエスのもとにやって来たて外に立っていました。彼らは外から人をやって主イエスを呼びつけようとしました。彼らの用件はここには明示されていませんけれども、並行記事のマルコ福音書第3章21節によれば、人々がイエスは気が変になっていると言っているので、心配して、イエスを連れ戻しに来たのでした。[…続きを読む]
一歩を踏み出す力
2021年8月8日 詩編57:2~12、マタイ10:16~25 関 伸子牧師 私たちは8月を特に平和を覚える時として過ごしています。この日(8月8日)をはさむ8月6日は広島、8月9日は長崎の原爆記念日です。私たちは現在、コロナ禍のなかにはありますけれども、それでも戦争のない平和な日々を過ごしています。しかし、一瞬にして日常が崩壊することも歴史を通して私たちは知っています。 主の平和を告げ知らせる者の道も絶えず困難が待ち受けています。主イエスは弟子たちの[…続きを読む]
主イエスの名によって
2021年8月1日 エレミヤ20:7~13、使徒言行録20:17~35 関 伸子牧師 パウロはエルサレムに向かおうとしている。そこで彼は捕らえられることになる。船がミルトスに寄港したとき、パウロはエフェソの教会の長老たちを呼び、別れの言葉を告げる。 パウロは主に仕えてきた。その際、パウロは悲しさや悔しさで涙を流したこともあれば、自分の命をねらうユダヤ人たちの陰謀にさいなまれたこともあった。そうした経験をパウロは、自分に課せられた試練と受け止めた。それは[…続きを読む]
キリストの愛から離れない
2021年7月25日 詩編107:1~9、コリント二5:14~6:2 関 伸子牧師 東小金井教会が最初の礼拝をささげた1964年から57年経ちました。今もコロナ禍にありますけれども、神の恵みの出来事のなかで礼拝をささげる喜びに生かされていることを深く感謝します。 「わたしたちは、この宝を土の器に納めています」と、パウロはコリントの信徒への手紙二第4章7節で言います。そして第5章1節でパウロは、自分たちが高価な宝を安く壊れ易い土の器に盛っているというこ[…続きを読む]