十字架の王
2021年3月28日 ゼカリヤ書9:9~10、マタイ27:45~56 関 伸子牧師 棕梠の主日を迎えました。主イエスは前夜ゲッセマネで祈った後に、この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達して、弟子たちが近くで調達した子ろばに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで、城内へ入城しました。 先ほどお読みしましたゼカリヤ書第9章9節から10節は、このことを預言する言葉として新約聖書に引用されます。シオ[…続きを読む]
仕える者となる
2021年3月21日 詩編118:1~9、ローマ8:8~11 関 伸子牧師 パウロはキリスト者を熱心に迫害する者でしたが、ダマスコ途上において、天からの光に打たれ、なぜあのようにあざやかな回心をできたのでしょうか。そのことについてはいろいろな説があります。その一つの説明として、パウロがキリスト教徒を迫害したのは、律法による行いによって救われようと努力した結果であった。しかし、そうすればするほど、律法によっては救われない自分に気がつき、自分には救われる何の[…続きを読む]
これに聞け
2021年3月14日 出エジプト24:1~11、マタイ17:1~13 関 伸子牧師 主イエスは三人の弟子たちを高い山に連れて行き、天の唯一の王国とその栄光を見せました。山の頂に立ってその見晴らしに心を奪われる時に、私たちを取り巻くものとも一つとなる体験をすることがあります。子どもが生まれるのに立ち会う時、家族との食事、あるいは礼拝中や静かな部屋で祈っている時にも起こるでしょう。今まで望んでいたことがすべてここにあるという瞬間です。三人の弟子たちは、主イエ[…続きを読む]
イエスにしたがう
2021年3月7日 エレミヤ書20:7~9、マタイ16:21~28 関 伸子牧師 「この時から、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」(21節)。主イエスはペトロが信仰告白をしたのを機会に、ご自分の受難を弟子たちに予告される。 主イエスを拒絶する動きは、ユダヤ人指導者層から始まり、一般の人々、異邦人を巻き込んで広がってゆきます。[…続きを読む]
神の国の到来
2021年2月28日 イザヤ書35:1~10、マタイ12:22~32 関 伸子牧師 ベルゼブル論争と呼ばれる出来事は、ある事件がきっかけとなって始まった。すなわち、「目が見えず口の利けない人」がイエスによって癒されたことがその発端となったのである。この人は目と口が不自由な分、いろいろなことに熱心に耳を傾けていたに違いない。この人を主イエスはいやされた。群衆は皆驚いて「まさか、この人がダビデの子ではあるまいか」と言った(マタイ12:23)。 イザヤ書[…続きを読む]